つまびく

 ペロはオフの日でも帽子を被っている。とはいっても、ステージでお馴染みの、市松模様が特徴的なあれではない。己の目立つ人工的な赤毛を隠すための、シンプルなニット帽だ。メイクを落とし、ニット帽の端から赤毛をちらりと覗かせているその姿からは、彼がステージをクルクルと自在に動き回る道化と同一人物だとはとても分からない。ピエロ姿と同じなのは、相変わらず帽子で隠された瞳と、真っ赤なピアスくらいだ。
 その日、ドアの向こうで片手を挙げ「やあ」と言った彼は、なんとも珍しいことにギターを担いでいた。黒いニット帽の上に突き出た赤いチェックのギターケースを見上げ、モニモニは星が飛び出るかという程その目を見開いた。キョトンとした彼女の顔を見、ペロは満足したらしく、嬉しそうに舌を出してみせた。
 招き入れられた途端にペロは質問責めにあった。
 それどうしたの? 弾けるの? 難しい? ケースかわいいね、ペロが選んだの?
 全く少女の舌というものはよく回る。ペロは興奮気味に跳ねるモニモニを軽く諫め、ギターケースを床にそっと下ろした。小さな体のモニモニは、興味津々ではあるが触って良いものかも分からず、おっかなびっくり近づき、結局触れることなくその傍らに座り込んだ。
 埃っぽいケースから取り出されたのは、これまた埃っぽいアコースティック。

「実家の大掃除のときに、倉庫から出したんだ」

 それは彼がまだ子供だった頃に、友人から貰った物だった。兄がもう使わないから捨てるらしい、お前音楽好きだろ、いるか? と。音楽が好きだからといって必ずしも演奏に興味があるとは限らないが、それが少年となれば話は別で、彼らが己の手で何かを奏でたいと考える確率はかなりのものだ。ペロもその例に漏れず、彼は喜々としてそのギターを受け取った。
 しかし彼はギターを触ることをたったの一ヶ月で止めてしまった。理由は簡単なもので、手が届かない、それだけだった。彼はまだ中学生になったばかりで、その未発達の小さな手では彼の望む音楽は到底弾きこなせなかった。ギターは貰ったときについてきた赤いケースにしまいこまれ、そのまま倉庫へと押しやられた。
 彼の手が十分大きくなったときには、そこには既にマイクがあり、鳩の飛び出すハットがあった。ギターが思い出されることはなかった。

「懐かしくてさ」

 来る途中でピックも買ってきたよ。
 取り出された百円の小さなそれを手渡され、モニモニはマジマジと見つめた。読めない英語が印刷されている。

「今から弦張り替えるから、待ってて」
「弾けるの?」
「いや、全然。せっかくだからまた始めよっかなって思って」

 カバンから、ピックと一緒に買ってきた弦を取り出し、さっそくペロは作業を始める。モニモニはしばらくそれを眺めていたが、はっと何やら思いつくと、一目散にダイニングへ走った。目当ては当然、籠に盛られた薬だ。
 ふしぎなくすり。彼女の十八番中の十八番でありアイデンティティの一つ。
 このように、モニモニが突然何かを思いついて勢いのままに「大きくなる」のは慣れたことだったので、マヌケな音が響き煙が背後で上がっても、ペロは平然と手を動かし続けていた。
 人型になっても変わらない愛らしい声が、誇らしげに高らかに響く。

「モニも弾く!」

 なるほど。
 納得したペロが顔を上げるのと同時に、モニモニはその背中に飛びついた。軽い衝撃で手元がブレる。

「ね、いいよね? いいよね?」

 ペンチ持ってるんだからもう少し落ち着いてくれないかな、しかもこれは作業が少しやり辛い。少しの抗議を込めた視線を彼女に送るが、輝かんばかりの笑顔に跳ね返される。
 そのとき――重大なことに、彼は気がついた。
 いや、待てよ、背中に柔らかい物が当たっている。
 跳ね返されてしかるべき抗議だったかと思い直したペロは、肩に顎を乗せる彼女に悟られぬようにしつつ、作業を続けた。
 そんな葛藤など知る由もないモニモニは、その眩い笑顔を今度はギターに向ける。

「モニも弾けるよね、きっと」
「どうだろう、モニは手が小さいし……あ、その前にまず爪切らないと」

 丁度空いた左手で彼女の手を取り、示してやる。先の綺麗に切りそろえられた彼女の爪は、弦を抑えるには少し長いように思われた。

「……そっかぁ」

 左手は、彼の視線とともに、すぐに離れていってしまう。
 昨夜マニキュアを塗ったばかりの自分の爪を、モニモニはまじまじと見つめた。薄いピンクとその上に描かれた薄い水色の星に、彼は気づいていないようだ。じゃあ、意味はない、かな。
 モニモニが爪切りを探すべく立ち上がったところで、ペロはようやく己の失言に思い至った。背中の温もりと柔らかさが、離れてしまったではないか。

 間もなくモニモニは適当な紙を目の前に広げ、爪を切り始めた。パチンパチンと、彼女が丁寧に音を響かせる一方で、ペロもまたパチリパチリと、力強く弦を切る。パチン、パチリ、パチリ、パチン。それはまるでささやかなアンサンブルのようで、いつしか二人一緒にクスクスと笑い合っていた。
 最後の弦を切り終わり、前座の合奏も終わった。ヘッドからは真新しい弦が好き勝手に飛び出している。モニモニがそういうものなのと尋ねると、ペロはそういうものだよと答えた。
 モニモニはまだ爪を切っている。

「ね、本当に全然弾けない?」

 リクエストされたって本当に、弾けるうちに入らないものしか弾けない。
 実際、チューニングをしながら彼がようやく弾いてみせたのは、昔学校で習った「禁じられた遊び」だった。

「それならモニもできそう!」

 足の爪まで切り始めたモニモニが嬉しそうに声を上げる。弾けるだろう、女子も普通に弾いてたから。

「あとはそうだなあ……そうだ、これとか」

 ついこの間出演したパーティー、そこで出会った大先輩の人に、恐れ多くもギターを借りて、少しだけ教えて貰ったナンバーだ。軽快なイントロだけは弾けるようになった。
 パーティーの喧騒を思い出しつつ、ゆるくストロークをする。キーボードの音はなくても、その曲だと分かる軽快なリズム。
 耳の奥に出だしの音を置いて、息を吸う。

「風にー……ってさすがに高すぎて出ないや」

 どちらにせよこの続きは弾けない。その事実を知らないモニモニは、大好きな彼の歌声が聴けないことにブーイングをした。爪切りをその手に掴んだままで。

2010/02/12 初出 - 2012/08/08 加筆

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