そうしたらアンテナ売りさんも飼っているお魚の話をしてくれた。
どんななの、と尋ねたら、黒くって一匹しかいなくって、大きなやつらしい。
ずる賢くて、アンテナ売りさんに忘れられないように、時折死んだふりをして腹を見せたりするそうだ。アンテナ売りさんは優しいからそれをすくい上げてあげるのだ。けれどもそいつはその瞬間に元気に跳ね出して、水の中をまたすいすいと泳ぎ始める。灰色の水の中でテラテラ光りながらずっと水面の近くを泳いでいるんだって。
お魚はそれからしばらくは、よく息をしに上がってくる。
「どこかの偉い人は、こいつによく似た黒い犬を飼っているそうだよ」
目の下の隈をさすりながら笑った彼に私は、だからあなたはアンテナ売りでしかいられないのよ、と思った。
アンテナ売りなんかやめてしまえば良いのよ。
お魚なんて、投げ捨ててしまえば良いわ。
家に帰ると、虫たちは白いキレイな繭になっていた。
(釈迦組)
いつもはトサカのように立てられている髪が今日は下ろされたままで、モニモニは不思議そうにそれを見上げた。
「ペロ?」
呼び掛けには無反応。
招き入れると彼は口を尖らせ下を向いたままのそりと動き始めた。パチ、とひとつまばたきをするだけの間を取ってから追う。
「どうしたの?」
投げかけた問いは、
「……うん」
と、キャッチされたきり返ってこない。
やはり緩慢な動きでこたつに入った彼の横に座る。ただし一人分の空間を空けて。
彼の背中は丸まってしまっていた。
その「しょんぼり」とでも書いた紙を貼り付けたくなるような背中を、モニモニは不思議と可愛いと感じた。何やらむずがゆい気持ちだ。
この気持ちはどうしたら良いんだろう?
――彼女の葛藤は存外早く終わった。一呼吸するだけの時間だったのだ。
思いついたら後は更に早い。彼女は一目散にダイニングのテーブルへ飛び乗った。お目当てのそれを掴み大きく口を開ける。
辺りに星が飛び、間抜けな音が響くと、彼はようやくこちらを向いてくれた。だがしかし、これは振り向いてくれなかったが故の行動ではないのだ。
大きくなった彼女が畳の上で静かに正座をする、それを見つめる彼の顔は、やはり愛おしかった。
まただ。胸の中に何とも言い難い、うずうずするような気持ちが渦巻く。
頬に熱が灯るのを感じながら彼女は彼を見る。そっと手を掲げながら。
「おいでー」
出した声は少し甘すぎたかもしれない。
そんな、犬猫じゃあるまいし。
対する彼はそうは思いながらも、手招きする彼女の元までノロノロと歩み寄った。
瞬間、予想外の動きが彼を襲う。
おいでおいでをしていた手はそのまま、彼のネクタイへ。
「え」
誰にも文句を言わせない速さでそれを引っ張られ、彼は頭から倒れ込んだ。
そして頭はそのまま膝の上へ。
一呼吸する間もまばたきする間もないうちに、彼は妙な体勢を取らされることとなった。
「よしよし」
呆然としている間に、サラサラの赤髪にくしを入れるように頭を撫でられる。
視線は合わない。彼女が瞳を閉じているから。
別に、今まで恋人となった女性に膝枕をされたことがない訳ではない。ねだったことの方が多かったりする。甘ったるい空気を味わいたいときなんかに。だから彼が戸惑っているのは、体勢のせいではない。
しかし、彼女のこれは、なんだか、まるで――
思い至りたくはなかった。彼にとってそれはあまりにも癪だった。
憂鬱はとうに吹き飛んで、彼に残されていたのは混乱と恥じらいと、頭の下の温かさだけだった。
(ペロモニ)
スタジオを出ると、雨が降っていた。
雪にはならないほどだが、首を長くして春を待つ冬の終わりの雨だから、とても寒い。ペロは羽織っただけのコートの前を慌てて合わせながら、さらさらと降る雨を眺めた。
ボタンをきちんと留め終えて、手元を見る。
傘がない。
帽子もマフラーもコートもある。しかし傘がない。
ペロは免許を持っていないので、いつも誰かの車に乗せて貰うか、徒歩で仕事に向かう。運の悪いことに、今日は都合の合う人がおらず徒歩であった。
何を待つでもなく、軒下で待ちぼうけをする。
雨はさらさらと、悪びれもせず降りしきる。ばーかやろう。毒づいたところで、白い息が雨に食われるだけだった。
ふと、あの子のことが、ペロの頭に浮かんだ。
寒がっていないだろうか?
震えていないだろうか?
寂しい思いをしていないだろうか?
泣いたりなんて、していないだろうか。
最後に会ったときの、別れ際のあの子を思い出してみる。一ヶ月前で、夕暮れだった。またねと笑って手を振った、あの子はどんな顔をしていただろうか。
根拠はない。気になるなら電話でもすれば良い。けれどペロは、なんだか彼女に逢いに行かなければならないような気がして、雨の中に飛び出した。
水たまりに豪快に足を突っ込んだ。泥水が大きくはね、コートにまで付いた。手入れのなっていない革靴がすべり始めた。かまわずペロは走った。
交差点で、誰かが捨てた新聞を踏んづけて、また足を滑らせた。自殺者増加の見出しが出ていた。今朝彼が顔をしかめたニュースだったが、その文字を読み理解することも今はできないだろう。がむしゃらに走った。
落とし切れていない涙のメイクの青色が、本物のように流れていった。
(ペロモニ)
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