カテゴリ「RL/KOP」[14件]
あれからのこと。
ずっと夢の中にいるみたいで、まだ夢かもしれないと思っています。
あんまりにも私に都合の良い現実すぎて。
寝た子を起こして、夢の中にいるとはこれいかに。起きた子はとてもとても素晴らしくて、何も変わってなくて、私は泣いてばかり過ごしていました。
もう少し真面目な言葉で語るならば、総集編なのにこんなに面白いことってあるのか、という驚きが未だにあります。私はどうしてもベストテンの音ズレを許せないままでいるので、改めてきちんと総集編を作ってくれたのは本当に嬉しかったです。これはキンツアに対しても、同じことを思っています。
それからジョージのCGショー。死なない理由が一つ消えました。本当に何度ありがとうを言っても足りない。
作品とはまた別の、応援上映と、エリートの話を少し。
ありがたいことに私の最寄りの劇場はロングランに恵まれ、たくさんの素敵なことが起きました。お誕生日をたくさんお祝いできました。愛をたくさん返してもらえました。忘れられない日々です。
公開初日と二日目をバルトで過ごし、地元に戻った時、この作品のためにできることはなんでもやろう、と思いました。
もう一度は死んだ身なのだからなんだって怖くない。やりたいこと、やったら良さそうなこと、全部やってみようと。
で、映画館で交流を始めました。
これまでは作品のことだけで頭の中を埋めていたかったり、シンプルに自分の力量的にオタクと交流を両立できる気がしなかったり、といった理由から、限られた数人の方としか交流してきませんでした。
もう少し言うと、身内感が応援上映という場を殺しかねないという懸念と、私の応援が地雷な方だったら申し訳ない(私は私を曲げられないので)という余計な心配もありました。これは今でも忘れずに意識してます。
初週のレイト回、3、4人ほどしかいないシアターの中、若いエリートさんがこちらを見て「友達になりたいな」と言ってくださったのが聞こえました。
私が輪に入ることが誰かや何かのためになるのか、とそこで初めて気づきました。
で、友達になりました。そこからは転がるみたいにあっという間でした。
時が過ぎるにつれ、ああ、私は恩返しがしたかったんだと分かりました。
発声禁止になって、コンテンツが止まったあの頃、Prizoomでエリートの元気な姿に、力をもらっていたこと。
上映を続けてくれる劇場で聞いたクラップやタンバリンに、思わず唸ったこと。
あれらがなければ、こんなに元気に新作を迎えられてなかったかもしれない。
あの時元気をくれたエリートたちに恩返しがしたかったんです。
そしてきっと、最寄りの劇場が盛り上がれば、巡り巡って恩返しになるはずだと。
応援上映は絶対に誰しもに好まれるものではありません。
応援上映が好きでなければこの作品が好きであると言えないとも思いません。
それでもこの作品には、応援上映があった今までがあって、これからがあります。
私は多分、応援上映がなくなっても、作品が続くならこのコンテンツを楽しめるのでしょう。逆に、作品が続かなくなっても、今まで通り既存作の応援上映を定期的にさせてもらえるなら、やっぱり楽しめるのでしょう。
だから私は、どちらも大切にできる今を、精一杯大事に過ごしたいと思います。
延長戦という夢であることは確か。必ずいつか終わります。今度こそ上手に一緒に死にたい。
明日からの全ての旅路に、幸多からんことを祈ります。
畳む
ずっと夢の中にいるみたいで、まだ夢かもしれないと思っています。
あんまりにも私に都合の良い現実すぎて。
寝た子を起こして、夢の中にいるとはこれいかに。起きた子はとてもとても素晴らしくて、何も変わってなくて、私は泣いてばかり過ごしていました。
もう少し真面目な言葉で語るならば、総集編なのにこんなに面白いことってあるのか、という驚きが未だにあります。私はどうしてもベストテンの音ズレを許せないままでいるので、改めてきちんと総集編を作ってくれたのは本当に嬉しかったです。これはキンツアに対しても、同じことを思っています。
それからジョージのCGショー。死なない理由が一つ消えました。本当に何度ありがとうを言っても足りない。
作品とはまた別の、応援上映と、エリートの話を少し。
ありがたいことに私の最寄りの劇場はロングランに恵まれ、たくさんの素敵なことが起きました。お誕生日をたくさんお祝いできました。愛をたくさん返してもらえました。忘れられない日々です。
公開初日と二日目をバルトで過ごし、地元に戻った時、この作品のためにできることはなんでもやろう、と思いました。
もう一度は死んだ身なのだからなんだって怖くない。やりたいこと、やったら良さそうなこと、全部やってみようと。
で、映画館で交流を始めました。
これまでは作品のことだけで頭の中を埋めていたかったり、シンプルに自分の力量的にオタクと交流を両立できる気がしなかったり、といった理由から、限られた数人の方としか交流してきませんでした。
もう少し言うと、身内感が応援上映という場を殺しかねないという懸念と、私の応援が地雷な方だったら申し訳ない(私は私を曲げられないので)という余計な心配もありました。これは今でも忘れずに意識してます。
初週のレイト回、3、4人ほどしかいないシアターの中、若いエリートさんがこちらを見て「友達になりたいな」と言ってくださったのが聞こえました。
私が輪に入ることが誰かや何かのためになるのか、とそこで初めて気づきました。
で、友達になりました。そこからは転がるみたいにあっという間でした。
時が過ぎるにつれ、ああ、私は恩返しがしたかったんだと分かりました。
発声禁止になって、コンテンツが止まったあの頃、Prizoomでエリートの元気な姿に、力をもらっていたこと。
上映を続けてくれる劇場で聞いたクラップやタンバリンに、思わず唸ったこと。
あれらがなければ、こんなに元気に新作を迎えられてなかったかもしれない。
あの時元気をくれたエリートたちに恩返しがしたかったんです。
そしてきっと、最寄りの劇場が盛り上がれば、巡り巡って恩返しになるはずだと。
応援上映は絶対に誰しもに好まれるものではありません。
応援上映が好きでなければこの作品が好きであると言えないとも思いません。
それでもこの作品には、応援上映があった今までがあって、これからがあります。
私は多分、応援上映がなくなっても、作品が続くならこのコンテンツを楽しめるのでしょう。逆に、作品が続かなくなっても、今まで通り既存作の応援上映を定期的にさせてもらえるなら、やっぱり楽しめるのでしょう。
だから私は、どちらも大切にできる今を、精一杯大事に過ごしたいと思います。
延長戦という夢であることは確か。必ずいつか終わります。今度こそ上手に一緒に死にたい。
明日からの全ての旅路に、幸多からんことを祈ります。
畳む
再始動に寄せて。
この歌詞を聴いて深夜に泣くなどしており、だいたいそんな気分です。
4年前、ベストテンの舞台挨拶で、何かが違うと感じたことが始まりでした。
キャストの皆さんの笑顔がいつもと違ってて、寂しさが伝わってきました。
ベストテンのラスト。スススのラスト。ファンが一人ででも生きていけるように…と、くれたような言葉たちが、その寂しさを更に加速させました。
怯えた気持ちを隠しながら参加したあの幕張のライブで、昼の部が終わった時、私は脱力して立ち上がれずにいました。
「どうしてそんなこと言うの」と言いながら、あの走馬灯のような映像を見ていました。
4年間、受け入れられるようになろうと、努力していました。
「何かあるかもしれない」「あっても嬉しくないかもしれない」「だったらなくても構わない」
未来を諦める努力でした。
幸い、過去を抱きしめることは得意な性分です。望まれぬ未来ならなくて構わないというのは本当に心から思っていることで、その結果が今ならば、受け止めなくてはと思っていました。これは正しい選択だったと、今でも思っています。
それでも「過去を抱きしめる行為」として、コンテンツの催しに参加し続けたのでした。
「寝た子を起こすな」という言葉があります。
コンテンツは眠っていたのかいなかったのか、という疑問は、「再始動」という言葉が解決してくれました。
起こすにはファンだけでもスタッフだけでもきっとダメだったのでしょう。皆で起こしたのでしょう。だから、共犯なんだと思うことにしました。
これから何が起きても、眠ったままでいればよかったと思う日が来たとしても、背負えます。罪を。
無限ハグweekの舞台挨拶には参加していました。幸運にも、あの場にいさせていただきました。
あの時特報を見て自分が泣いた理由をようやく整理できた、公開5日前の本日です。
青春をもう一度、と言ってもらえたのが、嬉しかった。
きっとまた終わる青春です。いつかお別れしなければならない日々です。だからこそ、今度も悔いのないように大切にしたい。
それからなにより、コンテンツが生きている世界がどういうものなのか、あの4年間とどう違うのか、しっかりと見つめておきたい。
あー。
畳む
あなたがこの世界に一緒に生きてくれるのなら
死んでもかまわない あなたのために
(駆け抜けて性春/銀杏BOYS)
この歌詞を聴いて深夜に泣くなどしており、だいたいそんな気分です。
4年前、ベストテンの舞台挨拶で、何かが違うと感じたことが始まりでした。
キャストの皆さんの笑顔がいつもと違ってて、寂しさが伝わってきました。
ベストテンのラスト。スススのラスト。ファンが一人ででも生きていけるように…と、くれたような言葉たちが、その寂しさを更に加速させました。
怯えた気持ちを隠しながら参加したあの幕張のライブで、昼の部が終わった時、私は脱力して立ち上がれずにいました。
「どうしてそんなこと言うの」と言いながら、あの走馬灯のような映像を見ていました。
4年間、受け入れられるようになろうと、努力していました。
「何かあるかもしれない」「あっても嬉しくないかもしれない」「だったらなくても構わない」
未来を諦める努力でした。
幸い、過去を抱きしめることは得意な性分です。望まれぬ未来ならなくて構わないというのは本当に心から思っていることで、その結果が今ならば、受け止めなくてはと思っていました。これは正しい選択だったと、今でも思っています。
それでも「過去を抱きしめる行為」として、コンテンツの催しに参加し続けたのでした。
「寝た子を起こすな」という言葉があります。
コンテンツは眠っていたのかいなかったのか、という疑問は、「再始動」という言葉が解決してくれました。
起こすにはファンだけでもスタッフだけでもきっとダメだったのでしょう。皆で起こしたのでしょう。だから、共犯なんだと思うことにしました。
これから何が起きても、眠ったままでいればよかったと思う日が来たとしても、背負えます。罪を。
無限ハグweekの舞台挨拶には参加していました。幸運にも、あの場にいさせていただきました。
あの時特報を見て自分が泣いた理由をようやく整理できた、公開5日前の本日です。
青春をもう一度、と言ってもらえたのが、嬉しかった。
きっとまた終わる青春です。いつかお別れしなければならない日々です。だからこそ、今度も悔いのないように大切にしたい。
それからなにより、コンテンツが生きている世界がどういうものなのか、あの4年間とどう違うのか、しっかりと見つめておきたい。
あなたがこの世界に一緒に生きてくれるのなら
月まで届くような翼で飛んでゆけるのでしょう
あー。
畳む
ぴったり一ヶ月が経過しておりますが、今年もおめでとうございました。
昨年に続き九州の地で生誕上映にお邪魔させていただきました。昨年のこと、ここには書いてなかったんですけど。
先日手元へようやく着いたプリララ資料集の、RtSSSシナリオをさっと読み返しただけでやはり、九州という土地はこれからも大事にしていきたいなと思いました。そういう想い含め良い生誕上映だった。
その劇場で、三度目にして初めての声出しとなった応援上映でした。ローカルCMへの応援って本当に好きだ。いつの間にか当たり前になった「あの頃のままであることを楽しむ」というやり方だけでなく、タンバリンによる音出しをそこに加えた新しい形を楽しむ、というやり方もできた、生誕を抜きにしてもとても楽しい一夜だった。不屈コアがあるよなあ。
Rebootで優しく響くタンバリンのシンバルの音が心地よかった。どう応援するかが難しくていろいろ言われてきたあのシーンだけど、寄り添うみたいに音を添えるのは今だからたどり着けたひとつの答えだな、みたいな。
久しぶりにYoutubeでのお祝いにも参加しました。アニメタイムズさんありがとうございました。
プリプラスススでなくRL本編とプリズムツアーズというチョイス、ヒロ様生誕ならではだし、脱マンネリにもなって英断でしたね。実際かなり盛り上がってたと思う。
それにしても久しぶりにツアーズを観ました。じゃあいつぶりだったんだろうと大昔のあれやこれやを掘り返してみたところ、RL本編を見終わった頃には観ていたようです。そうだ、その頃はプリパラを全然知らなかったので、コスモ姉さんのエモさとか全然知らなかったんだった。と言っても3DSのゲームは未プレイなので真の意味では理解できてない。
ツアーズは配信もなければ再上映の機会にも(私が)恵まれなかったので、キンプラのアフターパーティーでその映像の一部を見せてもらえてとっても嬉しかったことなんかも、久しぶりに思い出しました。
今となって見ればルート分岐前の部分でお腹いっぱいになるし、随所に監督らしさが溢れていて面白いしで、うーん本当に今観られて良かった。感謝しかないです。
そんなことを書いてたらまさかのRL全話公開が来て驚きました。
背中を押されている気しかしない。もう一周…今こそか。
昨年に続き九州の地で生誕上映にお邪魔させていただきました。昨年のこと、ここには書いてなかったんですけど。
先日手元へようやく着いたプリララ資料集の、RtSSSシナリオをさっと読み返しただけでやはり、九州という土地はこれからも大事にしていきたいなと思いました。そういう想い含め良い生誕上映だった。
その劇場で、三度目にして初めての声出しとなった応援上映でした。ローカルCMへの応援って本当に好きだ。いつの間にか当たり前になった「あの頃のままであることを楽しむ」というやり方だけでなく、タンバリンによる音出しをそこに加えた新しい形を楽しむ、というやり方もできた、生誕を抜きにしてもとても楽しい一夜だった。不屈コアがあるよなあ。
Rebootで優しく響くタンバリンのシンバルの音が心地よかった。どう応援するかが難しくていろいろ言われてきたあのシーンだけど、寄り添うみたいに音を添えるのは今だからたどり着けたひとつの答えだな、みたいな。
久しぶりにYoutubeでのお祝いにも参加しました。アニメタイムズさんありがとうございました。
プリプラスススでなくRL本編とプリズムツアーズというチョイス、ヒロ様生誕ならではだし、脱マンネリにもなって英断でしたね。実際かなり盛り上がってたと思う。
それにしても久しぶりにツアーズを観ました。じゃあいつぶりだったんだろうと大昔のあれやこれやを掘り返してみたところ、RL本編を見終わった頃には観ていたようです。そうだ、その頃はプリパラを全然知らなかったので、コスモ姉さんのエモさとか全然知らなかったんだった。と言っても3DSのゲームは未プレイなので真の意味では理解できてない。
ツアーズは配信もなければ再上映の機会にも(私が)恵まれなかったので、キンプラのアフターパーティーでその映像の一部を見せてもらえてとっても嬉しかったことなんかも、久しぶりに思い出しました。
今となって見ればルート分岐前の部分でお腹いっぱいになるし、随所に監督らしさが溢れていて面白いしで、うーん本当に今観られて良かった。感謝しかないです。
そんなことを書いてたらまさかのRL全話公開が来て驚きました。
背中を押されている気しかしない。もう一周…今こそか。
良い収納方法を思いついたのでKOPのグッズ類を整理していました。
数多のコースターやらクリアしおりやらを出し入れしていると、自然とLOVEグラフィティを口ずさんでいる自分がいて、なんかとても良い時間だった。
もしも写真が嫌いじゃなかったら、アルバム作るのってこんな感じなんだろうな。グッズは思い出の化身だな。
記憶よりも記録とは思わないけど、記憶を支えるために記録はあるんだろうな。
まあ一夜ではとても仕舞いきれなかったんですが。それもまた喜び。
そしてアドパラはくしゅふわツインがないらしいので入園を見送りました。ぐぬぬ。
数多のコースターやらクリアしおりやらを出し入れしていると、自然とLOVEグラフィティを口ずさんでいる自分がいて、なんかとても良い時間だった。
もしも写真が嫌いじゃなかったら、アルバム作るのってこんな感じなんだろうな。グッズは思い出の化身だな。
記憶よりも記録とは思わないけど、記憶を支えるために記録はあるんだろうな。
まあ一夜ではとても仕舞いきれなかったんですが。それもまた喜び。
そしてアドパラはくしゅふわツインがないらしいので入園を見送りました。ぐぬぬ。
KOPの公式的な動きがコラボカフェばかりになって以降、定期的に「カフェになったんだよな君は…」などと愚かな替え歌をしては涙したりしていたものでした。
6周年だ7周年だと祝いながら、でも5周年より後は空っぽみたいなものだったよな、と心の底では苦く思っていました。
先日の復活応援上映で、5周年より後にあったいろんな形の応援上映の、その思い出もコンテンツの時系列に含めて良いんだと思えるようになってから……空っぽなんかじゃなかったと思えるようになってからは、コラボカフェも晴々とした心で楽しめるようになりました。
そんな思いを胸に、RL10周年記念コラボカフェへ。期間中に一度だけ訪れました。楽しかった!
割れるPRIDEの種類が増えて笑った。こんなもんなんぼあってもええですからね。
私がお邪魔した時はフードがハピレの時期だったからか、店内でずっとべる様店長回のBパートがリピート再生されていました。メガネ噛みながら立ち去るヒロ様が何回も見られてよろしかったです。猫べる様にはときめきの導火線を歌ってほしい。
グッズも久しぶりにたくさん買って楽しかったなあ。いくつかやっぱり欲しかったな〜と思うものもあったので事後通販するつもり。
コラボカフェってよく考えたらちゃんと訪れたのは2019年以来のことで、さすがに時の流れに驚かざるを得ませんでした。ベステン公開時のコラボフードとかならいろいろ食べたけど。
何気ない毎日が虹色に染まっていたあの頃の片鱗を少し味わえたような気がして、そういう面でも行って良かったと思いました。
6周年だ7周年だと祝いながら、でも5周年より後は空っぽみたいなものだったよな、と心の底では苦く思っていました。
先日の復活応援上映で、5周年より後にあったいろんな形の応援上映の、その思い出もコンテンツの時系列に含めて良いんだと思えるようになってから……空っぽなんかじゃなかったと思えるようになってからは、コラボカフェも晴々とした心で楽しめるようになりました。
プリティーリズム・レインボーライブ:10周年プロジェクト始動 描き下ろしビジュアル コラボカフェも
https://mantan-web.jp/article/20230328do...
そんな思いを胸に、RL10周年記念コラボカフェへ。期間中に一度だけ訪れました。楽しかった!
割れるPRIDEの種類が増えて笑った。こんなもんなんぼあってもええですからね。
私がお邪魔した時はフードがハピレの時期だったからか、店内でずっとべる様店長回のBパートがリピート再生されていました。メガネ噛みながら立ち去るヒロ様が何回も見られてよろしかったです。猫べる様にはときめきの導火線を歌ってほしい。
グッズも久しぶりにたくさん買って楽しかったなあ。いくつかやっぱり欲しかったな〜と思うものもあったので事後通販するつもり。
コラボカフェってよく考えたらちゃんと訪れたのは2019年以来のことで、さすがに時の流れに驚かざるを得ませんでした。ベステン公開時のコラボフードとかならいろいろ食べたけど。
何気ない毎日が虹色に染まっていたあの頃の片鱗を少し味わえたような気がして、そういう面でも行って良かったと思いました。
発生した感情が巨大すぎると、咀嚼するのに時間を要するたちです。
この時誰かの声を聞いてしまうと、自分が食べていたものが何だったのか、すぐ見失ってしまう悲しい性質も持ち合わせています。それによって気づけることもあるのですが。
結局のところまだ飲み込みきれていないと言っても過言ではありませんが、もしいま死んだらこの喜びをどこにも残せないかもしれない、それはさすがに悔いが残る、というわけで、そろそろ記しておきたいと思いました。
それから、忘れっぽい未来の自分に伝えるために。
7周年記念の発声復活応援上映で得られた、安心と喜びについてのことです。
あまりにも7年前と同じ熱量だった。
始まる前、とても緊張していて夕ご飯を最後まで食べ切れませんでした。
涙もろいタイプなんですが、エイベックスピクチャーズ、と言い切る前に泣くだろうと予想していました。
何をいつも言っていたか、頭が真っ白になっていました。
映画泥棒から始まった上映。みんなの歓迎するような歓声。
それに笑って少し緊張がほぐれたところで、ああそうだ、応援上映には先付があったんだ。思い出した瞬間、シンくんの声が聴こえたとき、泣いてしまいました。予想よりずっと早かった。
隣の方が嗚咽を殺しきれていないのが漏れ聞こえて、余計に泣けました。
そこからはあっという間でした。あっという間だったけど、もしかしたら初見よりも体感時間の長いバイプリだったかもしれない。
初めて見た時の景色、何度も通っていた時の景色、最後にこの劇場に来た時の景色、声が出せなくなった時の景色、オンラインで応援していた時の景色。全部が重なってその向こうに見えたこの日の世界は、ただただ輝いていました。
夕ご飯を食べ切れなかった胃は4時間超えの上映ですっかり空になってしまい、2章最後のミナト回では半ば本気で「お腹すいた~」を言っていました。そんなことさえ嬉しかった。
ここまでがDAY1。
翌週、DAY2より先にDAY3を迎えました。
この日は2回目の舞台挨拶に参加。上映前にプリララ資料集発売の報。本当に嬉しい。ありがとう。
舞台挨拶本編では、本当に久しぶりに西さんのお顔を拝見できて、しかもオンライン応援など全部ずっと見てくださっていたことを知ることができて、安心しました。二人のPさんあってのキンプリというコンテンツだと思っているので。
そしてだからこそ、依田さんが雑誌のインタビューで語られていた、「無理に話を続けることはしたくない」という言葉を尊重したいと思っていますし、私は今でも続編はあろうがなかろうがどちらでも良いと思っています。
前週の2章、ミナトさんの「港になりたい」を聞いて、今まさに応援上映という場こそが港になっているのでは、と感じていました。
いつでも「初めてプリズムショーを見たとき」に帰らせてくれる場所。それが今まで失われていたからあんなにも悔しかったのだと。
今回、7周年の節目と資料集の発売があったとはいえ、他に何も発表もなく、ただ3年前までのいつも通りに応援上映をするだけだった。そのために公式が動いたという事実に、一番の大きな安心を与えられました。
ああ、責任を取ろうという気概を感じる……とさえ思いました。2020年の幕張よりよっぽど。
私もこの港の一部であり続けたいと、そう願いながらヒロ様の名前を呼びました。
ここまでがDAY3。
大阪まで足を戻して、最後にDAY2を迎えました。
ここにきてようやく新規先付の感想ですが、オバレもセプトリもシュワロもみんな元気に過ごしているようで嬉しかったです。
あと未だ2016年を生きているはずのシンくんが2023年にいるかのように喋っても許されるメタ空間であるこの感じが懐かしくて良かった。
この日の個人的目玉はベストテン特別版でしたが、これ…めっちゃ楽しかった! 本当にノンストップ。一週間が早くて笑う。
休憩時間に隣の人に話しかけられて雑談に華を咲かし、お疲れ様でしたと言って別れる体験も久しぶりにできました。幸せだ。
ススス以降は他地方の応援を見る機会があまりなかったので、新鮮な応援が多かったのも楽しかった。というかプラ時代にあちこち行っただけで基本的にオーソドックスな応援しか知らない。多分。
4章のナナチカは泣きすぎちゃって歌えなかったので、早くリベンジしたいです。
2019年に4章を見た時からずっと、本当にこれでいいのだろうかと迷う気持ちがありました。
応援上映ありきという前提を作品に付加することについて。
4章の内容はもう、言い逃れができないと思っています。そんな作品を主軸にしたコンテンツが、応援上映ができなくなり、オンラインや鳴り物で工夫をしながら生き延びることに不安を感じてもいて、それが先述の「空白による分断への恐怖」の中身でもありました。
要は「ずっと追っている人間しか面白くないものになっていないか」という不安。
それが今回覆ったからこその安心でした。3日間のシアターはあまりにも2016年であり、2023年であった。初めて出会った時の面白さがきちんとそこにあると思えた。
この景色を得られたのが応援上映のおかげと言うのなら、それはもう、言い逃れなんてしなくていいに決まってるのかなと。
コンテンツの真ん中にはやっぱりいつでも作品がいてほしい。劇場作品であるなら、劇場で見てもらえるのが一番。
そして劇場で見る機会が、応援上映でやいやい言うファンのおかげで作られ続けているというのなら、喜んでその声の一つになりたい。
あとはまあ、7周年先付シンくんが言ってくれた「ずっと好きでいてくれてありがとう」が泣けて泣けて仕方ないという事実が、答えですね。
こちらこそ、ずっと「好き」を言わせてくれてありがとう。
7周年おめでとう。これからもよろしくお願いします。
畳む
この時誰かの声を聞いてしまうと、自分が食べていたものが何だったのか、すぐ見失ってしまう悲しい性質も持ち合わせています。それによって気づけることもあるのですが。
結局のところまだ飲み込みきれていないと言っても過言ではありませんが、もしいま死んだらこの喜びをどこにも残せないかもしれない、それはさすがに悔いが残る、というわけで、そろそろ記しておきたいと思いました。
それから、忘れっぽい未来の自分に伝えるために。
7周年記念の発声復活応援上映で得られた、安心と喜びについてのことです。
あまりにも7年前と同じ熱量だった。
始まる前、とても緊張していて夕ご飯を最後まで食べ切れませんでした。
涙もろいタイプなんですが、エイベックスピクチャーズ、と言い切る前に泣くだろうと予想していました。
何をいつも言っていたか、頭が真っ白になっていました。
映画泥棒から始まった上映。みんなの歓迎するような歓声。
それに笑って少し緊張がほぐれたところで、ああそうだ、応援上映には先付があったんだ。思い出した瞬間、シンくんの声が聴こえたとき、泣いてしまいました。予想よりずっと早かった。
隣の方が嗚咽を殺しきれていないのが漏れ聞こえて、余計に泣けました。
そこからはあっという間でした。あっという間だったけど、もしかしたら初見よりも体感時間の長いバイプリだったかもしれない。
初めて見た時の景色、何度も通っていた時の景色、最後にこの劇場に来た時の景色、声が出せなくなった時の景色、オンラインで応援していた時の景色。全部が重なってその向こうに見えたこの日の世界は、ただただ輝いていました。
夕ご飯を食べ切れなかった胃は4時間超えの上映ですっかり空になってしまい、2章最後のミナト回では半ば本気で「お腹すいた~」を言っていました。そんなことさえ嬉しかった。
ここまでがDAY1。
翌週、DAY2より先にDAY3を迎えました。
この日は2回目の舞台挨拶に参加。上映前にプリララ資料集発売の報。本当に嬉しい。ありがとう。
舞台挨拶本編では、本当に久しぶりに西さんのお顔を拝見できて、しかもオンライン応援など全部ずっと見てくださっていたことを知ることができて、安心しました。二人のPさんあってのキンプリというコンテンツだと思っているので。
そしてだからこそ、依田さんが雑誌のインタビューで語られていた、「無理に話を続けることはしたくない」という言葉を尊重したいと思っていますし、私は今でも続編はあろうがなかろうがどちらでも良いと思っています。
前週の2章、ミナトさんの「港になりたい」を聞いて、今まさに応援上映という場こそが港になっているのでは、と感じていました。
いつでも「初めてプリズムショーを見たとき」に帰らせてくれる場所。それが今まで失われていたからあんなにも悔しかったのだと。
今回、7周年の節目と資料集の発売があったとはいえ、他に何も発表もなく、ただ3年前までのいつも通りに応援上映をするだけだった。そのために公式が動いたという事実に、一番の大きな安心を与えられました。
ああ、責任を取ろうという気概を感じる……とさえ思いました。2020年の幕張よりよっぽど。
私もこの港の一部であり続けたいと、そう願いながらヒロ様の名前を呼びました。
ここまでがDAY3。
大阪まで足を戻して、最後にDAY2を迎えました。
ここにきてようやく新規先付の感想ですが、オバレもセプトリもシュワロもみんな元気に過ごしているようで嬉しかったです。
あと未だ2016年を生きているはずのシンくんが2023年にいるかのように喋っても許されるメタ空間であるこの感じが懐かしくて良かった。
この日の個人的目玉はベストテン特別版でしたが、これ…めっちゃ楽しかった! 本当にノンストップ。一週間が早くて笑う。
休憩時間に隣の人に話しかけられて雑談に華を咲かし、お疲れ様でしたと言って別れる体験も久しぶりにできました。幸せだ。
ススス以降は他地方の応援を見る機会があまりなかったので、新鮮な応援が多かったのも楽しかった。というかプラ時代にあちこち行っただけで基本的にオーソドックスな応援しか知らない。多分。
4章のナナチカは泣きすぎちゃって歌えなかったので、早くリベンジしたいです。
2019年に4章を見た時からずっと、本当にこれでいいのだろうかと迷う気持ちがありました。
応援上映ありきという前提を作品に付加することについて。
4章の内容はもう、言い逃れができないと思っています。そんな作品を主軸にしたコンテンツが、応援上映ができなくなり、オンラインや鳴り物で工夫をしながら生き延びることに不安を感じてもいて、それが先述の「空白による分断への恐怖」の中身でもありました。
要は「ずっと追っている人間しか面白くないものになっていないか」という不安。
それが今回覆ったからこその安心でした。3日間のシアターはあまりにも2016年であり、2023年であった。初めて出会った時の面白さがきちんとそこにあると思えた。
この景色を得られたのが応援上映のおかげと言うのなら、それはもう、言い逃れなんてしなくていいに決まってるのかなと。
コンテンツの真ん中にはやっぱりいつでも作品がいてほしい。劇場作品であるなら、劇場で見てもらえるのが一番。
そして劇場で見る機会が、応援上映でやいやい言うファンのおかげで作られ続けているというのなら、喜んでその声の一つになりたい。
あとはまあ、7周年先付シンくんが言ってくれた「ずっと好きでいてくれてありがとう」が泣けて泣けて仕方ないという事実が、答えですね。
こちらこそ、ずっと「好き」を言わせてくれてありがとう。
7周年おめでとう。これからもよろしくお願いします。
畳む
眠れなくなってしまい、したためています。
ドリコラFesの感想をそろそろまとめよう、と思っていたところだったはずなのに。
あれから9時間。まだ9時間。もう9時間。
まだ7年。もう7年。
発声解禁は公式に先陣切ってほしいとずっと思っていました。だからとても嬉しい。
7周年の節目について声に出して、おめでとう、ありがとう、と言い合えることもまた嬉しい。
続編とか特報とかについては何も考えずにいるつもりです。8割くらいはないと思ってます。シンプルに直感で。
でも万が一心臓止まったらまずいので最低限のイメトレはするかもしれない。
素直に吐露すると、どうしてもあの日突然声を出せなくなったことに対する幼稚な憤りを消しきれずにいて、これ以上は無発声応援を楽しみきれないかもしれないと思うこともありました。
そういう不安が解消されるという意味でも嬉しいし、もちろんもっとシンプルに前向きな喜びもあるし、いろんな感情が渦巻いています。
その中に少しだけ、今の安寧を手放す惜しさも含まれています。
この安寧についてはそのうち書こうかなと思っていたのですが、今ここでいわゆる「復活」を遂げることで、この数年間のことが「空白」として明確に浮き彫りになってしまうと思うんです。
音楽が途切れて、曲がそのまま終わればそれはただの終わりですが、曲が終わらず再び音が鳴り始めたとき、そこに「無」があったと言える、ということはポップンに教わりました。
もしここからまた始まったとしたら、その時私たちは初めてこの3年間の空白に、空白が生んだ分断に、向き合わないといけないのだと思います。だから今はある意味で安寧があった。
時に揺れることもあったけど、安らいでいたと思います。
それでも今日、暗い道の片隅で聴いたShiny Seven Stars!が驚くほど鮮明だったことは、その惜しさを振り切るに足る事実でした。
新鮮なキャベツの千切りを食べたときみたいだったな。世界は輝いてるって何度でも教えておくれ。
ドリコラFesの感想をそろそろまとめよう、と思っていたところだったはずなのに。
KING OF PRISM:7周年記念上映イベント開催 発声応援上映が復活 劇場版7タイトル、一条シン録り下ろしボイス入り特別映像も
https://mantan-web.jp/article/20230206do...
あれから9時間。まだ9時間。もう9時間。
まだ7年。もう7年。
発声解禁は公式に先陣切ってほしいとずっと思っていました。だからとても嬉しい。
7周年の節目について声に出して、おめでとう、ありがとう、と言い合えることもまた嬉しい。
続編とか特報とかについては何も考えずにいるつもりです。8割くらいはないと思ってます。シンプルに直感で。
でも万が一心臓止まったらまずいので最低限のイメトレはするかもしれない。
素直に吐露すると、どうしてもあの日突然声を出せなくなったことに対する幼稚な憤りを消しきれずにいて、これ以上は無発声応援を楽しみきれないかもしれないと思うこともありました。
そういう不安が解消されるという意味でも嬉しいし、もちろんもっとシンプルに前向きな喜びもあるし、いろんな感情が渦巻いています。
その中に少しだけ、今の安寧を手放す惜しさも含まれています。
この安寧についてはそのうち書こうかなと思っていたのですが、今ここでいわゆる「復活」を遂げることで、この数年間のことが「空白」として明確に浮き彫りになってしまうと思うんです。
音楽が途切れて、曲がそのまま終わればそれはただの終わりですが、曲が終わらず再び音が鳴り始めたとき、そこに「無」があったと言える、ということはポップンに教わりました。
もしここからまた始まったとしたら、その時私たちは初めてこの3年間の空白に、空白が生んだ分断に、向き合わないといけないのだと思います。だから今はある意味で安寧があった。
時に揺れることもあったけど、安らいでいたと思います。
それでも今日、暗い道の片隅で聴いたShiny Seven Stars!が驚くほど鮮明だったことは、その惜しさを振り切るに足る事実でした。
新鮮なキャベツの千切りを食べたときみたいだったな。世界は輝いてるって何度でも教えておくれ。