カテゴリ「アニメ」[11件]
●アイドルランドプリパラ #00~#04
アプリを待ちながら視聴。更新スパンが安定してから見たかったのでまだ見ずにおりました。
プリパラ節が健在でま~面白いこと。4話のめが兄ぃが頭のスイカ割るところとか、意味不明すぎて声出して笑った。そしてスイカ割りで思わず親の顔より見たスイカ割り(プラ先付のアレ)がよぎるなどもした。
筐体が終了して数年経った今アプリになるという現実を、アップデートをしようとしたら半消滅状態になってみんなに忘れられている、っていう設定に落とし込むところが上手くて好き。プリティーシリーズのこういう理屈っぽさが好きなんだよなと改めて思いました。
男プリ勢も楽しいですね。ダークナイトメアさん、名前と顔しか知らなかった。忍者キャラだったのか。すごく年頃の男子っぽさがあってイイ。コヨイの過去にも驚きだけど自然に新キャラが受け入れられてうまいなあ。
久しぶりに見るプリズムギャラクシィ…に「いつ見てもマリオギャラクシーだな…」とか思ってたら新キャラがマリオなのでちょっと笑ったけど、それが吹っ飛ぶくらいマリオのライブがツボです。ドツボです。こういうロックを待ってたんだ私は! ゼウスでもアレクでもあともう少しこっちの世界に来てほしい…! っていう思いが実は少しだけあって。
現実でアイドルのライブなんて実は見たことなくてロックバンドのライブばかり行っていた人間には、マリオくんは待ちわびていた子でしたよ。サイリウムチェンジで半裸になってタトゥー光らせるとか最高すぎるよ。
あまりちゃんのあのノートから生まれた存在なんだろうと思うと、あまりちゃんが羨ましくなりました。私は男の子のマイキャラを作ってみたいよ。そして作れるならきっとマリオみたいな子にするよ。
それにしてもハリケーンにしてもトルネードにしてもFREEDOMの血流を感じて嬉しいぜ。あと、鍵穴に鍵差し込んでチャキるたびにFairy蘭丸も脳裏をよぎってるぜ。いいぜ。
●君たちはどう生きるか
公開からそろそろ一ヶ月くらい経つので、伏せずに書きます。
私は基本的に作品というものが「何を言いたいか」なんてのは簡単に説明できてはいけないと思っているので、この作品についてもそれを探そうとは思っていません。自分が受け取った気持ちを紐解くためのパズルならやるし、やりました。その結果が以下です。
賛否の賛側の人間です。賛否分かれるだろうことも観ながら予想できた。
私にとってはこれは、創作者による創作のための作品でした。「私の中にも塔がある」と思いながら観る人とそうでない人に分かれると思う。
独りよがりな作品だなとも思って、でもこれこそが創作だと思いました。エンタメ性はせいぜい「ここジブリのアレじゃん!」って言いながら映像を観られることにしかない。それは「悪意のある石」が使われている積み木を、とうとう作ったってことなんじゃないかと思います。ポニョの真逆みたいな映画だったなあって。
自分の中にある自分だけの宇宙は、積み木の材質だとか他人の横槍だとかそんなことでは揺らがなくて、一見崩れて消えてしまったように見えても永遠にあり続けるんだと、励まされたような心地が今は残っています。
そこから何かを持ち帰ってくれる誰かがきっといるから。
優しい作品だと思いました。ラストではゲームのmoonを思い出したよ。
シンプルな感情の話をすると、鑑賞後はただひたすらに寂しかったです。スタッフロールの青を観て、本当に監督が引退してしまうんだと思い知らされていました。いやこれで引退しない可能性はあるし、それはそれで構わないんですが、いつか必ずいなくなってしまう存在だとはっきり告げられたような。親の遺書の場所を教えられたような。そういう寂しさですね。
生まれた頃からジブリがあり、監督の最新作を観るうちにシネコンが生まれ流行し、自分も大きくなりました。創作の面でも大きな影響を受けました。身近な創作者もみんな受けていました。そういう人生の大きな一部がいなくなる寂しさが存在することを知らされました。
おじさんと別れる時のヒミの涙、刺さったなあ。
●岸辺露伴 ルーヴルへ行く(映画)
すっかり感想が遅くなりましたが公開日に観ました。ポップコーンを食べながら。ポップコーン回が含まれるかもしれないと思うと我慢できなかった。
結果的にきっちりルーブルの話だけで一本の映画になっていて感動しました。ただただ私が露伴先生に嫌われそうな映画の鑑賞方法を取っただけになってしまった。なんか嫌ってそうじゃないですか? ポップコーン食べながら映画観る人のこと。
闇の表現がとにかくすごくて、映画館で観て良かったなあとガッツポーズ。泉ちゃんのパパの話は普通に泣いた。そして最強さで笑った。
●ミーナの行進/小川洋子
読書習慣を復活させたくて、あと一般文芸が読みたくなり、まずは学生の頃から馴染みのある作家さんの作品からリハビリを、と思いチョイス。新潮文庫版。文庫本って気軽に手に取れてお安く楽しめてすごい。
小説の楽しみ方は「文章に描かれている風景をいかに自分の中にある材料で再現するか」というところにひとつある、という考えを持っています。本作に早速登場するコビトカバが私にはクラシカロイドのドボちゃんで再現されたことがなんだか面白かった。
芦屋の館で暮らす人々それぞれが個性的で、でもその個性たりうる部分って俯瞰で見れば身近にもあるんだよな、と思えるちょうどいい塩梅が心地よくて温かかった。
●ウィッチウォッチ12巻
新キャラのフランちゃんいいなー! なんでロボキャラ? と思ったら「ミハルが触れられるように」なのか! と分かった時のなんとも言えない胸キュン感。
後半のハイテンションなギャグ回続きの流れから、一気にニコとモイちゃんの恋の核心に迫る怒涛の展開にはもっと胸キュン。
最後の数ページはモイちゃんにシンクロするみたいにドキドキしてしまった。ギャップ萌えを漫画自体に感じているかもしれない。
アプリを待ちながら視聴。更新スパンが安定してから見たかったのでまだ見ずにおりました。
プリパラ節が健在でま~面白いこと。4話のめが兄ぃが頭のスイカ割るところとか、意味不明すぎて声出して笑った。そしてスイカ割りで思わず親の顔より見たスイカ割り(プラ先付のアレ)がよぎるなどもした。
筐体が終了して数年経った今アプリになるという現実を、アップデートをしようとしたら半消滅状態になってみんなに忘れられている、っていう設定に落とし込むところが上手くて好き。プリティーシリーズのこういう理屈っぽさが好きなんだよなと改めて思いました。
男プリ勢も楽しいですね。ダークナイトメアさん、名前と顔しか知らなかった。忍者キャラだったのか。すごく年頃の男子っぽさがあってイイ。コヨイの過去にも驚きだけど自然に新キャラが受け入れられてうまいなあ。
久しぶりに見るプリズムギャラクシィ…に「いつ見てもマリオギャラクシーだな…」とか思ってたら新キャラがマリオなのでちょっと笑ったけど、それが吹っ飛ぶくらいマリオのライブがツボです。ドツボです。こういうロックを待ってたんだ私は! ゼウスでもアレクでもあともう少しこっちの世界に来てほしい…! っていう思いが実は少しだけあって。
現実でアイドルのライブなんて実は見たことなくてロックバンドのライブばかり行っていた人間には、マリオくんは待ちわびていた子でしたよ。サイリウムチェンジで半裸になってタトゥー光らせるとか最高すぎるよ。
あまりちゃんのあのノートから生まれた存在なんだろうと思うと、あまりちゃんが羨ましくなりました。私は男の子のマイキャラを作ってみたいよ。そして作れるならきっとマリオみたいな子にするよ。
それにしてもハリケーンにしてもトルネードにしてもFREEDOMの血流を感じて嬉しいぜ。あと、鍵穴に鍵差し込んでチャキるたびにFairy蘭丸も脳裏をよぎってるぜ。いいぜ。
●君たちはどう生きるか
公開からそろそろ一ヶ月くらい経つので、伏せずに書きます。
私は基本的に作品というものが「何を言いたいか」なんてのは簡単に説明できてはいけないと思っているので、この作品についてもそれを探そうとは思っていません。自分が受け取った気持ちを紐解くためのパズルならやるし、やりました。その結果が以下です。
賛否の賛側の人間です。賛否分かれるだろうことも観ながら予想できた。
私にとってはこれは、創作者による創作のための作品でした。「私の中にも塔がある」と思いながら観る人とそうでない人に分かれると思う。
独りよがりな作品だなとも思って、でもこれこそが創作だと思いました。エンタメ性はせいぜい「ここジブリのアレじゃん!」って言いながら映像を観られることにしかない。それは「悪意のある石」が使われている積み木を、とうとう作ったってことなんじゃないかと思います。ポニョの真逆みたいな映画だったなあって。
自分の中にある自分だけの宇宙は、積み木の材質だとか他人の横槍だとかそんなことでは揺らがなくて、一見崩れて消えてしまったように見えても永遠にあり続けるんだと、励まされたような心地が今は残っています。
そこから何かを持ち帰ってくれる誰かがきっといるから。
優しい作品だと思いました。ラストではゲームのmoonを思い出したよ。
シンプルな感情の話をすると、鑑賞後はただひたすらに寂しかったです。スタッフロールの青を観て、本当に監督が引退してしまうんだと思い知らされていました。いやこれで引退しない可能性はあるし、それはそれで構わないんですが、いつか必ずいなくなってしまう存在だとはっきり告げられたような。親の遺書の場所を教えられたような。そういう寂しさですね。
生まれた頃からジブリがあり、監督の最新作を観るうちにシネコンが生まれ流行し、自分も大きくなりました。創作の面でも大きな影響を受けました。身近な創作者もみんな受けていました。そういう人生の大きな一部がいなくなる寂しさが存在することを知らされました。
おじさんと別れる時のヒミの涙、刺さったなあ。
●岸辺露伴 ルーヴルへ行く(映画)
すっかり感想が遅くなりましたが公開日に観ました。ポップコーンを食べながら。ポップコーン回が含まれるかもしれないと思うと我慢できなかった。
結果的にきっちりルーブルの話だけで一本の映画になっていて感動しました。ただただ私が露伴先生に嫌われそうな映画の鑑賞方法を取っただけになってしまった。なんか嫌ってそうじゃないですか? ポップコーン食べながら映画観る人のこと。
闇の表現がとにかくすごくて、映画館で観て良かったなあとガッツポーズ。泉ちゃんのパパの話は普通に泣いた。そして最強さで笑った。
●ミーナの行進/小川洋子
読書習慣を復活させたくて、あと一般文芸が読みたくなり、まずは学生の頃から馴染みのある作家さんの作品からリハビリを、と思いチョイス。新潮文庫版。文庫本って気軽に手に取れてお安く楽しめてすごい。
小説の楽しみ方は「文章に描かれている風景をいかに自分の中にある材料で再現するか」というところにひとつある、という考えを持っています。本作に早速登場するコビトカバが私にはクラシカロイドのドボちゃんで再現されたことがなんだか面白かった。
芦屋の館で暮らす人々それぞれが個性的で、でもその個性たりうる部分って俯瞰で見れば身近にもあるんだよな、と思えるちょうどいい塩梅が心地よくて温かかった。
●ウィッチウォッチ12巻
新キャラのフランちゃんいいなー! なんでロボキャラ? と思ったら「ミハルが触れられるように」なのか! と分かった時のなんとも言えない胸キュン感。
後半のハイテンションなギャグ回続きの流れから、一気にニコとモイちゃんの恋の核心に迫る怒涛の展開にはもっと胸キュン。
最後の数ページはモイちゃんにシンクロするみたいにドキドキしてしまった。ギャップ萌えを漫画自体に感じているかもしれない。
●ドクストアニメ3期1・2話
ついにきた!この時が!
サブタイトル画面の劇伴変わらずで、見た瞬間聞いた瞬間に「ストーンワールドに帰ってきた!」と思えたのがまずイイ!
OPもEDもかっこいいなあ。今回は敢えてEDに大御所って感じなのかしら。OPの映像は3期の全部まるわかりみたいでこれまた…モ、モズが動いた!! なんてこったかっこいいぞ。
分割2クールということで尺も十分、丁寧に小ネタまで拾いつつテンポよくメリハリきっちりで進んでいて今のところ大満足。農業王のところ大好きなシーンなので綺麗な作画で見られて嬉しかった。マッピングのマインクラフトシーンめっちゃ凝ってて笑った。
カメラのプリズムについての説明が追加されてたのはナイスアニオリ。あと南ちゃんの回想追加ね…ニッキーと同じくであれはズルい。泣きました(チョロ)。幼少期からカメラ少女だったのね。
フランソワについて…アニメ化されたらなんかこう、堪らん感覚になってしまいました。
まず髪色がね、原作だとトーン貼られてて龍水と差異化されてたから、金髪なんだそうだ、とアニメ化でようやく理解したというか。しかも碧眼ですよ。そして服のトリコロール! 料理キャラ! 性別不明! 堪らんやろ。
性別については一応答えはあるらしいので、女性なんじゃないかなと考えています。ていうかそうだと私が嬉しいだけ。坂本真綾さんの上品な低音ボイスもとてもぴったりだと思いました。お料理教室もっとやってほしい。
それからフランソワ関連の劇伴が弦楽器構成なところ、執事らしさがあるのはもちろん、音楽の面でも文明が進んでいるのを表しているようでとても好きです。
今回改めてアニメで見ていて、「自分の執事」っていう超身内キャラを復活後即加入させたところに七海龍水に年齢相応の人間味が感じられて、これが彼が愛される所以のひとつであるのかもなと思いました。
パン食べたくなってきた。来週は油田回。スイカが出るぞ!
●ビーストウォーズアゲイン1~3話
実質再放送。OPのアゲイン!と次回予告のみ新録っぽい。
TFはADVリアタイ時にハマってシリーズ作品をいくらか見たのですが、BWは見ないままだったので、せっかくの機会に…と思い視聴中。
対象年齢ゆえかトランスフォーム時の掛け声が変身!なのが新鮮。
ライノックスのロボットモードのデザイン好き。口内と歯が胸元に見えてるやつ。獣感あって良い。
スタスクいないの新鮮だなあと思っていたらダイノボットがしっかりニューリーダー病発祥していて笑った。しかも裏切った上で!?っていう…。
なんならそもそもダイノボットがひとりの名前なのが新鮮ですけどね。オレ、グリムロック、強い。ギゴガギギ。
●ウィッチウォッチ10巻
数ヶ月前に無料公開&ドクストで本誌購読していた時のバックナンバー分で文化祭のエピソードくらいまでを読み、これは続き読みたいぞと全巻一気に購入して読んでました。
絵が綺麗で目が気持ち良いし、ギャグも面白いし、毎度毎度丁寧なオチをつけているところが好き。
最新刊は同人イベント回から。お隣さんとの交換って女性向けでやるかな?ってところだけ気になったけど、「この空間全部に同士がいる喜び」は本当にそうなのでジーンときた。もう何年もイベント行ってないし買い専にしかなったことないけど、いいよなあ。イベント。
いやしかし同人どころか二次創作すらピンときていない一般人の友達に健全とはいえ女性向け同人誌読ませる勇気すげえ~…女性向けなんですよね?明言はしてないけどうつおぼって言ってたから…すげえ~…。ぼくにはとてもできない。
他、カンシの透明回めちゃくちゃ笑った。すべてを察したニコからの怒涛の流れやばい。
シリアスパートもどう展開していくのか期待。ケイゴ加入のエピソードすごく好きなのでシリアスも楽しみにしてます。今回もランの正体がわかるところでおお…となった。不死の魔女の最期のやるせなさ、良くも悪くも心が動いた。
●岸辺露伴 ルーブルへ行く
映画前に原作読みたいと言っていたらなんとコミックス版が出た。ありがとうございます。
フルカラーでこのお値段はむしろ安い。すごい。
露伴ちゃんはやっぱり年上が好きなんだなあと思いました。
めちゃくちゃグロくてビビったけどジョジョだから当たり前だった。なんかドラマの影響でそういうところから離れている世界観のような錯覚があった。映画化ではどうするんだろう?と楽しみなポイント。
ストーリーの流れ、怪異の正体、どれも何度も読み返したくなる味わい深さがあって、動かないシリーズではだいぶ好きなエピソードになりました。
一番好きなのは懺悔室のやつなので、劇場版で映像になってくれることに花京院の魂を賭けています。
ついにきた!この時が!
サブタイトル画面の劇伴変わらずで、見た瞬間聞いた瞬間に「ストーンワールドに帰ってきた!」と思えたのがまずイイ!
OPもEDもかっこいいなあ。今回は敢えてEDに大御所って感じなのかしら。OPの映像は3期の全部まるわかりみたいでこれまた…モ、モズが動いた!! なんてこったかっこいいぞ。
分割2クールということで尺も十分、丁寧に小ネタまで拾いつつテンポよくメリハリきっちりで進んでいて今のところ大満足。農業王のところ大好きなシーンなので綺麗な作画で見られて嬉しかった。マッピングのマインクラフトシーンめっちゃ凝ってて笑った。
カメラのプリズムについての説明が追加されてたのはナイスアニオリ。あと南ちゃんの回想追加ね…ニッキーと同じくであれはズルい。泣きました(チョロ)。幼少期からカメラ少女だったのね。
フランソワについて…アニメ化されたらなんかこう、堪らん感覚になってしまいました。
まず髪色がね、原作だとトーン貼られてて龍水と差異化されてたから、金髪なんだそうだ、とアニメ化でようやく理解したというか。しかも碧眼ですよ。そして服のトリコロール! 料理キャラ! 性別不明! 堪らんやろ。
性別については一応答えはあるらしいので、女性なんじゃないかなと考えています。ていうかそうだと私が嬉しいだけ。坂本真綾さんの上品な低音ボイスもとてもぴったりだと思いました。お料理教室もっとやってほしい。
それからフランソワ関連の劇伴が弦楽器構成なところ、執事らしさがあるのはもちろん、音楽の面でも文明が進んでいるのを表しているようでとても好きです。
今回改めてアニメで見ていて、「自分の執事」っていう超身内キャラを復活後即加入させたところに七海龍水に年齢相応の人間味が感じられて、これが彼が愛される所以のひとつであるのかもなと思いました。
パン食べたくなってきた。来週は油田回。スイカが出るぞ!
●ビーストウォーズアゲイン1~3話
実質再放送。OPのアゲイン!と次回予告のみ新録っぽい。
TFはADVリアタイ時にハマってシリーズ作品をいくらか見たのですが、BWは見ないままだったので、せっかくの機会に…と思い視聴中。
対象年齢ゆえかトランスフォーム時の掛け声が変身!なのが新鮮。
ライノックスのロボットモードのデザイン好き。口内と歯が胸元に見えてるやつ。獣感あって良い。
スタスクいないの新鮮だなあと思っていたらダイノボットがしっかりニューリーダー病発祥していて笑った。しかも裏切った上で!?っていう…。
なんならそもそもダイノボットがひとりの名前なのが新鮮ですけどね。オレ、グリムロック、強い。ギゴガギギ。
●ウィッチウォッチ10巻
数ヶ月前に無料公開&ドクストで本誌購読していた時のバックナンバー分で文化祭のエピソードくらいまでを読み、これは続き読みたいぞと全巻一気に購入して読んでました。
絵が綺麗で目が気持ち良いし、ギャグも面白いし、毎度毎度丁寧なオチをつけているところが好き。
最新刊は同人イベント回から。お隣さんとの交換って女性向けでやるかな?ってところだけ気になったけど、「この空間全部に同士がいる喜び」は本当にそうなのでジーンときた。もう何年もイベント行ってないし買い専にしかなったことないけど、いいよなあ。イベント。
いやしかし同人どころか二次創作すらピンときていない一般人の友達に健全とはいえ女性向け同人誌読ませる勇気すげえ~…女性向けなんですよね?明言はしてないけどうつおぼって言ってたから…すげえ~…。ぼくにはとてもできない。
他、カンシの透明回めちゃくちゃ笑った。すべてを察したニコからの怒涛の流れやばい。
シリアスパートもどう展開していくのか期待。ケイゴ加入のエピソードすごく好きなのでシリアスも楽しみにしてます。今回もランの正体がわかるところでおお…となった。不死の魔女の最期のやるせなさ、良くも悪くも心が動いた。
●岸辺露伴 ルーブルへ行く
映画前に原作読みたいと言っていたらなんとコミックス版が出た。ありがとうございます。
フルカラーでこのお値段はむしろ安い。すごい。
露伴ちゃんはやっぱり年上が好きなんだなあと思いました。
めちゃくちゃグロくてビビったけどジョジョだから当たり前だった。なんかドラマの影響でそういうところから離れている世界観のような錯覚があった。映画化ではどうするんだろう?と楽しみなポイント。
ストーリーの流れ、怪異の正体、どれも何度も読み返したくなる味わい深さがあって、動かないシリーズではだいぶ好きなエピソードになりました。
一番好きなのは懺悔室のやつなので、劇場版で映像になってくれることに花京院の魂を賭けています。
BLEACH 千年血戦編、1クール目をアマプラで一気見。
原作は子供の頃SS編の途中くらいから内容が追いきれず飛び飛びに本誌で読んでいたくらいだったのを、この年末年始の無料公開でアニメの辺りまで一気に読みました。当たり前なんですがまとめて読むと勢力関係などがスルスルと理解できて面白かった。
せっかくなので話題になってるし新アニメも見てみようという流れで鑑賞。子供の頃数多の作品がアニオリ展開に壊されて(とあの頃の私は受け止めてしまった)いくのを見てアニメ化に複雑な感情を抱くようになった身としては、今回のアニメ化こそが理想の形だなあと深く思いました。もうずっとこれがいい。
山じいのところと卯ノ花さんのところは作画も演出もすんごくって劇場版見てるみたいだった。
各回のサブタイトルの出し方など細かいところの演出がオシャレで、このオシャレさって原作の大事なところだと思うので、その空気感までしっかりアニメ化されているところに感動しました。もうずっとこれがいい(2回目)。
とはいえ初回の特殊EDや回想シーンで過去の映像使われるとそれはそれでエモだったので過去を否定はしません。当時はそうするしかなかったというのもあるし。
ただ一個だけどうしても気になったのが、一護の携帯がスマホになってたところ。それは時系列狂わないか…?といらん気を回してしまった。
原作は子供の頃SS編の途中くらいから内容が追いきれず飛び飛びに本誌で読んでいたくらいだったのを、この年末年始の無料公開でアニメの辺りまで一気に読みました。当たり前なんですがまとめて読むと勢力関係などがスルスルと理解できて面白かった。
せっかくなので話題になってるし新アニメも見てみようという流れで鑑賞。子供の頃数多の作品がアニオリ展開に壊されて(とあの頃の私は受け止めてしまった)いくのを見てアニメ化に複雑な感情を抱くようになった身としては、今回のアニメ化こそが理想の形だなあと深く思いました。もうずっとこれがいい。
山じいのところと卯ノ花さんのところは作画も演出もすんごくって劇場版見てるみたいだった。
各回のサブタイトルの出し方など細かいところの演出がオシャレで、このオシャレさって原作の大事なところだと思うので、その空気感までしっかりアニメ化されているところに感動しました。もうずっとこれがいい(2回目)。
とはいえ初回の特殊EDや回想シーンで過去の映像使われるとそれはそれでエモだったので過去を否定はしません。当時はそうするしかなかったというのもあるし。
ただ一個だけどうしても気になったのが、一護の携帯がスマホになってたところ。それは時系列狂わないか…?といらん気を回してしまった。
22日当日には観てたんですが、浮かぶ感想が多すぎて、整理してたら10日かかりました。
せっかくなのでまだパンフレットは読まずに、自分の考えだけで語っております。
直後は泣きすぎて目が痛かったです。
観終わった後の帰路の風景がなんだかとても愛おしくて…こんな…見慣れた風景が…イクニーーーッ!!!
レイトショーだったもんで夜景で、余計にね。
実写を使ったのはそういうことなんだなと思いました。最後にこちらに向けて投げられる「きっと何者かになれるお前たちに告げる」「愛してる」の言葉を、現実世界の我々が受け止めるための工夫なんだと。
キンプリは「観ると世界が輝いて見える」なんて言いますが、劇場版ピンドラは「観ると世界が愛おしく見える」作品だったと思いました。
キンプリと絡めてもう少し言うと、前後編のボリュームのギャップにプリプラのそれを思い起こしました。こんなに後編で重いパンチ喰らうとは。体感8時間あったわ。
細部について。
○構成
最後の最後、ぬいぐるみを投げたところでようやく時系列の罠に気づき、そういうことか!!と膝を叩きました。これは見事にやられた!
最終話のどこかへ歩いていく2人の姿が印象的すぎて、歩いて辿り着いたのが現実の夜の水族館で、そこから分室を訪れたものかと思っていたら。
はじめからこの物語は最終話の狭間のお話で、ラストの形は何も変わらないんだという。
あの美しい終わりが大きく変わらないことが嬉しかったな。驚きと共に歓喜したポイントでした。
リサイクルという言葉にちょっと釣られすぎてもいたかも。でも好きな作品のことをアレコレ考えては裏切られてワーイ!ってなるのはいつでも楽しい。ヘヘッ…これだから深読みオタクはやめられねえ。
で、また、「この子のお腹は3人で暮らしてる証なんだ」のシーンをきちんと差し込んでいるのがね。丁寧な導線。
ただひとつだけ、この時系列のことについて考えてることがあるのですが、それは蛇足な妄想なので一旦置いておきます。
○テレビ版との比較
前編に比べて後編の方がカットされたシーンがあるな、と気づきやすかったです。ゆりさんと苹果ちゃんのベッド(布団)シーン…どこ…?
しょーちゃんのちょっとシュールな絵本のやつとかもね。あ、でも「キスは消費されちゃう」のセリフは好きだったから惜しかったかも。
その代わりか、重要な話はまるまる入れられてたのかな。大好きで何度も見直したゆりと桃果の話、真砂子様のあのシーン、そして最終話。
大好きな場面がそのままスクリーンで味わえて嬉し涙が流れました。真砂子様、本当に…思い出しても涙が出る。大好きだ。
「世界を救う者」はEDが灰色の水曜日な回だったから、って理由もあって当時何度も見返した記憶があるんですが、今作では初めて二人が並び座って話をするシーンで早くも灰色の水曜日アレンジ劇伴が流れ始めてワシャもうどうしてええんかわからん…ってなってた。※良い意味のノブ
そう、音楽、トリプルHの歌からシームレスに通常の劇伴に繋がっててすごい!ミックスの妙か?と各所で思ってましたが、クレジットで見る限りそこまで含んでひとつの曲のようでしたね。これはサントラ聴きたくなるなあ。テレビ版はサントラまでは手が回ってないけど劇場版は買おう。トリプルHの新曲もあるし。
乗り換えの瞬間は、テレビ版も劇場版もどっちも好きだな!って素直に思いました。好きなシーンの好きな形が増えて嬉しい。
○新規シーンについて
なにはさておき、まずはOP!嬉しかった~~~!!!
これは単純にテレビアニメのオタクとして、劇場版だとEDはあってもOPがないのをたまに残念がっているので、痒いところに手が届いてて嬉しかった。
興奮しててあんまりしっかり覚えてないんですが、2期OPで走る方向を違えてしまった3人が、姿は変われど今度こそ同じ向きに走っていた、そのカットだけは目に焼き付いています。
崩壊する分室からエレベーターの孔を登って脱出していくシーン、迫力があって、ああアドゥレセンスの最後、世界を革命する力を!と叫ぶあそこと同じものを感じるな、と思いました。力強さ。
そらの孔分室は、透明になった存在が行く場所なんでしょうか。となると9話の陽毬はただ死ぬんじゃなくて透明になろうとしてしまっていたのかな(この辺りは明確に言語化するものではなく、肌で感じる部分と解釈していますが)。
そこから脱した兄弟ふたりが再び元の世界に戻り、最終話のラストシーンに繋がっていたと分かります。
"少年が帰った"さらにそのあとで、水族館で目を覚まし光の中また歩いていく。一番大きな物語の変化はここだったわけですが、この追加された本当のラストシーン、とっても嬉しかったです。
テレビ版だけだと解釈が割れていたポイントが明確になったと思いました。
そう、リサイクル、再構築である以上材料は同じで、パラレルワールドでも別の世界線でもないんですよね。そこが嬉しいんだなあ。
その上で、2人はあの世界で透明にならなかったんだよ、陽毬と3人で暮らした証も残ってるからね、と優しく観客に教えてくれたように感じました。
それから、「見つけてもらえる子供になったんだと思って泣いた」と陽毬が語る砂浜のシーン、思わず映画館で爆泣きしましたが、それが新規シーンに繋がってまた大泣きしてしまいました。
子供たちがみんな集ってきてそして…エヴァ。あそこは素直にエヴァだなあと思って良いシーンだと捉えてます。カヲルくんはイクニさんだし。すべてのチルドレンだし。
○そしてなにより
晶馬が苹果に「愛してる」と言って蠍の炎を引き受けた時、手を掴めなかった苹果が、テレビ版では何も言えなかった苹果が……「あたしも」と返してましたね。
これ、これ…10年越しの返答、エモ方面での一番の衝撃でした。もうずっと胸を貫かれています。
再構成、である以上この言葉は、10年経って私達がようやく聞き取れた言葉、なんだと思います。
苹果ちゃんが言えていて、伝えられていて良かった。ただただそう思う。
●
さて、先程「明確に言語化せず肌で感じる部分」と書きましたが、このアニメにはそういう点が非常に多く、下手に論理で解体しようとするとかえって褪せてしまう部分でもあると私は考えています。
ここからは、そういう部分にそういうものだと思った上で敢えて触れていきます。ふんわりとした書き方になりますがご理解ください。
○眞悧について
のっけから彼にスポットが当たって驚きました。
「この世界は箱なんだ」のセリフ、多分、生前の彼はずっと冠葉と晶馬があのとき入っていた箱の中にいて、そのまま生涯を終えてしまったんだろうな。だから飢餓の会。
で、そんな彼が救われるのではないかと前編を見て思っていた私ですが、ダメだったか~。ワハハ。
「呪いのメタファー」であり「亡霊」である以上、もうそういう対象ではないってことかなあと後編では思いました。桃果と同じで。
救われるべきはあのテロを起こして死ぬ前の彼だったのであって、乗り換えバグを経て人間でなくなってしまったそれではないのかなという。
思えばゆりの父親のことからして、ゆりを救うために父親を消しているわけで、父親も一緒に幸せになるとかそういう運命の乗り換え方はできないんですよね、桃果は。
そういう意味では桃果が呪いを生んでしまったことは当然のようにも思うし、あるいは連綿と続く呪いをどこまで遡ればいいのか?という疑念をどこかで彼女が抱いたかもしれないと思えば、始めから呪いという概念は彼女の宿敵であった、とも言える。
だから劇場版でも桃果と眞悧が、あたかもトムとジェリーかのごとく、これからも仲良く喧嘩しますよ、みたいに(少しコミカルに)描かれたのは、却って救いでした。
桃果は全知全能の存在にならずにすむし、眞悧はうん、寂しくないよね。
テレビ版の最終話だと二人はお別れしてしまってたから。
○時系列について
前段から続いた内容になりますが、時系列で考えると「でも私はもう行くわ」のシーンは劇場版の後の可能性もあるんですよ。サンちゃんが箱に詰められた後だから。
あれ?じゃあやっぱり二人はトムジェリじゃないじゃん、ってなりますよね。
そこでひとつ気にかかるのが、桃果の見た目年齢の話でして。
十年前に放映されたテレビ版では桃果の姿は一貫して小学2年生の姿でした。年齢でいえば7~8歳。それが今回の劇場版では突然成長した姿になるんですよね。
最終話のラストシーンで帽子をふたつ持って去ること、劇場版ではマリオ(に貸してた?)帽子を被っていることから、帽子に力を分けていて幼くなっていた姿が完全体に戻った、みたいな考えもあるかもしれないんですが、それにしては桃果の顔つきが幼いなあと思うんですね。同い年のゆりや多蕗よりも幼くてまだまだ少女っぽい。
じゃあ何歳くらいかというと、17~18くらいに見えません?
それで、もしかしたら桃果と眞悧だけはこっちの世界の時間軸にいるのかなあ、って思っちゃったんですよね。
桃果だけは2011年に乗り換えを見届けて眞悧にさよならして、そのままのんびり司書をして過ごしていたけど、10年経った今、メタ的には何かを伝えるため、物語的には乗り換えの脆弱性を見つけて修正作業をするために、再構築に至ったのでは。
なんてね。
キャラデザの都合って言われたらそれで終わる話なんですけど。
○林檎について
これは単純な、テレビ版と劇場版と10年の月日が合わさってようやく自分が気づいたことの覚書になるんですが。
冠葉の箱の中にあった唯一の林檎は、お母さんからのものだったのかなあ。彼の父は高倉父母と同じだと思う。
あと兄弟3人の中で晶馬だけが唯一与えることも与えられることもできていることとか、桃果も乗り換えのたびに運命の果実を渡していたんだよなとか、冠葉や晶馬が林檎を渡したあの時も運命を乗り換えたことに変わりはないんだよなとか、いろいろ。気づいていたことに何度でも気づけることが楽しい。
陽毬が亡くなる朝のシーンが永訣の朝であることに、また気づいたり。多分知っていたけど、ああ、とまた気づく瞬間をもらえて、やっぱり10年後にこれが見られて良かったなあ、と繰り返し思うのでした。
とりあえずはこんなところでしょうか。
またパンフレット読んだり2回目見たりして、書きたいことがあれば書きます。
大事なこと忘れてた。中学時代のしょーちゃんの髪がちょっと長いの、ヤバくないですか?
美ショタは正義です。やめて。すり潰さないで。
畳む
せっかくなのでまだパンフレットは読まずに、自分の考えだけで語っております。
直後は泣きすぎて目が痛かったです。
観終わった後の帰路の風景がなんだかとても愛おしくて…こんな…見慣れた風景が…イクニーーーッ!!!
レイトショーだったもんで夜景で、余計にね。
実写を使ったのはそういうことなんだなと思いました。最後にこちらに向けて投げられる「きっと何者かになれるお前たちに告げる」「愛してる」の言葉を、現実世界の我々が受け止めるための工夫なんだと。
キンプリは「観ると世界が輝いて見える」なんて言いますが、劇場版ピンドラは「観ると世界が愛おしく見える」作品だったと思いました。
キンプリと絡めてもう少し言うと、前後編のボリュームのギャップにプリプラのそれを思い起こしました。こんなに後編で重いパンチ喰らうとは。体感8時間あったわ。
細部について。
○構成
最後の最後、ぬいぐるみを投げたところでようやく時系列の罠に気づき、そういうことか!!と膝を叩きました。これは見事にやられた!
最終話のどこかへ歩いていく2人の姿が印象的すぎて、歩いて辿り着いたのが現実の夜の水族館で、そこから分室を訪れたものかと思っていたら。
はじめからこの物語は最終話の狭間のお話で、ラストの形は何も変わらないんだという。
あの美しい終わりが大きく変わらないことが嬉しかったな。驚きと共に歓喜したポイントでした。
リサイクルという言葉にちょっと釣られすぎてもいたかも。でも好きな作品のことをアレコレ考えては裏切られてワーイ!ってなるのはいつでも楽しい。ヘヘッ…これだから深読みオタクはやめられねえ。
で、また、「この子のお腹は3人で暮らしてる証なんだ」のシーンをきちんと差し込んでいるのがね。丁寧な導線。
ただひとつだけ、この時系列のことについて考えてることがあるのですが、それは蛇足な妄想なので一旦置いておきます。
○テレビ版との比較
前編に比べて後編の方がカットされたシーンがあるな、と気づきやすかったです。ゆりさんと苹果ちゃんのベッド(布団)シーン…どこ…?
しょーちゃんのちょっとシュールな絵本のやつとかもね。あ、でも「キスは消費されちゃう」のセリフは好きだったから惜しかったかも。
その代わりか、重要な話はまるまる入れられてたのかな。大好きで何度も見直したゆりと桃果の話、真砂子様のあのシーン、そして最終話。
大好きな場面がそのままスクリーンで味わえて嬉し涙が流れました。真砂子様、本当に…思い出しても涙が出る。大好きだ。
「世界を救う者」はEDが灰色の水曜日な回だったから、って理由もあって当時何度も見返した記憶があるんですが、今作では初めて二人が並び座って話をするシーンで早くも灰色の水曜日アレンジ劇伴が流れ始めてワシャもうどうしてええんかわからん…ってなってた。※良い意味のノブ
そう、音楽、トリプルHの歌からシームレスに通常の劇伴に繋がっててすごい!ミックスの妙か?と各所で思ってましたが、クレジットで見る限りそこまで含んでひとつの曲のようでしたね。これはサントラ聴きたくなるなあ。テレビ版はサントラまでは手が回ってないけど劇場版は買おう。トリプルHの新曲もあるし。
乗り換えの瞬間は、テレビ版も劇場版もどっちも好きだな!って素直に思いました。好きなシーンの好きな形が増えて嬉しい。
○新規シーンについて
なにはさておき、まずはOP!嬉しかった~~~!!!
これは単純にテレビアニメのオタクとして、劇場版だとEDはあってもOPがないのをたまに残念がっているので、痒いところに手が届いてて嬉しかった。
興奮しててあんまりしっかり覚えてないんですが、2期OPで走る方向を違えてしまった3人が、姿は変われど今度こそ同じ向きに走っていた、そのカットだけは目に焼き付いています。
崩壊する分室からエレベーターの孔を登って脱出していくシーン、迫力があって、ああアドゥレセンスの最後、世界を革命する力を!と叫ぶあそこと同じものを感じるな、と思いました。力強さ。
そらの孔分室は、透明になった存在が行く場所なんでしょうか。となると9話の陽毬はただ死ぬんじゃなくて透明になろうとしてしまっていたのかな(この辺りは明確に言語化するものではなく、肌で感じる部分と解釈していますが)。
そこから脱した兄弟ふたりが再び元の世界に戻り、最終話のラストシーンに繋がっていたと分かります。
"少年が帰った"さらにそのあとで、水族館で目を覚まし光の中また歩いていく。一番大きな物語の変化はここだったわけですが、この追加された本当のラストシーン、とっても嬉しかったです。
テレビ版だけだと解釈が割れていたポイントが明確になったと思いました。
そう、リサイクル、再構築である以上材料は同じで、パラレルワールドでも別の世界線でもないんですよね。そこが嬉しいんだなあ。
その上で、2人はあの世界で透明にならなかったんだよ、陽毬と3人で暮らした証も残ってるからね、と優しく観客に教えてくれたように感じました。
それから、「見つけてもらえる子供になったんだと思って泣いた」と陽毬が語る砂浜のシーン、思わず映画館で爆泣きしましたが、それが新規シーンに繋がってまた大泣きしてしまいました。
子供たちがみんな集ってきてそして…エヴァ。あそこは素直にエヴァだなあと思って良いシーンだと捉えてます。カヲルくんはイクニさんだし。すべてのチルドレンだし。
○そしてなにより
晶馬が苹果に「愛してる」と言って蠍の炎を引き受けた時、手を掴めなかった苹果が、テレビ版では何も言えなかった苹果が……「あたしも」と返してましたね。
これ、これ…10年越しの返答、エモ方面での一番の衝撃でした。もうずっと胸を貫かれています。
再構成、である以上この言葉は、10年経って私達がようやく聞き取れた言葉、なんだと思います。
苹果ちゃんが言えていて、伝えられていて良かった。ただただそう思う。
●
さて、先程「明確に言語化せず肌で感じる部分」と書きましたが、このアニメにはそういう点が非常に多く、下手に論理で解体しようとするとかえって褪せてしまう部分でもあると私は考えています。
ここからは、そういう部分にそういうものだと思った上で敢えて触れていきます。ふんわりとした書き方になりますがご理解ください。
○眞悧について
のっけから彼にスポットが当たって驚きました。
「この世界は箱なんだ」のセリフ、多分、生前の彼はずっと冠葉と晶馬があのとき入っていた箱の中にいて、そのまま生涯を終えてしまったんだろうな。だから飢餓の会。
で、そんな彼が救われるのではないかと前編を見て思っていた私ですが、ダメだったか~。ワハハ。
「呪いのメタファー」であり「亡霊」である以上、もうそういう対象ではないってことかなあと後編では思いました。桃果と同じで。
救われるべきはあのテロを起こして死ぬ前の彼だったのであって、乗り換えバグを経て人間でなくなってしまったそれではないのかなという。
思えばゆりの父親のことからして、ゆりを救うために父親を消しているわけで、父親も一緒に幸せになるとかそういう運命の乗り換え方はできないんですよね、桃果は。
そういう意味では桃果が呪いを生んでしまったことは当然のようにも思うし、あるいは連綿と続く呪いをどこまで遡ればいいのか?という疑念をどこかで彼女が抱いたかもしれないと思えば、始めから呪いという概念は彼女の宿敵であった、とも言える。
だから劇場版でも桃果と眞悧が、あたかもトムとジェリーかのごとく、これからも仲良く喧嘩しますよ、みたいに(少しコミカルに)描かれたのは、却って救いでした。
桃果は全知全能の存在にならずにすむし、眞悧はうん、寂しくないよね。
テレビ版の最終話だと二人はお別れしてしまってたから。
○時系列について
前段から続いた内容になりますが、時系列で考えると「でも私はもう行くわ」のシーンは劇場版の後の可能性もあるんですよ。サンちゃんが箱に詰められた後だから。
あれ?じゃあやっぱり二人はトムジェリじゃないじゃん、ってなりますよね。
そこでひとつ気にかかるのが、桃果の見た目年齢の話でして。
十年前に放映されたテレビ版では桃果の姿は一貫して小学2年生の姿でした。年齢でいえば7~8歳。それが今回の劇場版では突然成長した姿になるんですよね。
最終話のラストシーンで帽子をふたつ持って去ること、劇場版ではマリオ(に貸してた?)帽子を被っていることから、帽子に力を分けていて幼くなっていた姿が完全体に戻った、みたいな考えもあるかもしれないんですが、それにしては桃果の顔つきが幼いなあと思うんですね。同い年のゆりや多蕗よりも幼くてまだまだ少女っぽい。
じゃあ何歳くらいかというと、17~18くらいに見えません?
それで、もしかしたら桃果と眞悧だけはこっちの世界の時間軸にいるのかなあ、って思っちゃったんですよね。
桃果だけは2011年に乗り換えを見届けて眞悧にさよならして、そのままのんびり司書をして過ごしていたけど、10年経った今、メタ的には何かを伝えるため、物語的には乗り換えの脆弱性を見つけて修正作業をするために、再構築に至ったのでは。
なんてね。
○林檎について
これは単純な、テレビ版と劇場版と10年の月日が合わさってようやく自分が気づいたことの覚書になるんですが。
冠葉の箱の中にあった唯一の林檎は、お母さんからのものだったのかなあ。彼の父は高倉父母と同じだと思う。
あと兄弟3人の中で晶馬だけが唯一与えることも与えられることもできていることとか、桃果も乗り換えのたびに運命の果実を渡していたんだよなとか、冠葉や晶馬が林檎を渡したあの時も運命を乗り換えたことに変わりはないんだよなとか、いろいろ。気づいていたことに何度でも気づけることが楽しい。
陽毬が亡くなる朝のシーンが永訣の朝であることに、また気づいたり。多分知っていたけど、ああ、とまた気づく瞬間をもらえて、やっぱり10年後にこれが見られて良かったなあ、と繰り返し思うのでした。
とりあえずはこんなところでしょうか。
またパンフレット読んだり2回目見たりして、書きたいことがあれば書きます。
大事なこと忘れてた。中学時代のしょーちゃんの髪がちょっと長いの、ヤバくないですか?
美ショタは正義です。やめて。すり潰さないで。
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2回目をようやく観て、これ再考の余地がかなりあるな…と思ったので軽くしたため。
・プリンチュについて
私、プリンチュが変貌する直前(桃果が桃にぱっくんちょされたパート)でプリンチュにピングフォースのステッカーが貼られていたことを完全にスルーしていたね…!?
後半の語り始めたプリンチュはもう普通に眞悧が憑依したと思って良さそうかな…とも思いました。そうなってくるとバキュバキュ言ってるとことか踊ってるとことか無性にイラついてくるんですが。
本来の存在のプリンチュがなんなのか、については、桃果のペンギンかマリオさんのペンギンかどっちかかなーと感じました。
陽毬に3号がいることを考えると素直にいけばマリオのペンギンが妥当っぽいんですけど、桃果とずっと一緒にいるところがなー。
ペンギンたちは子供たちの内面を表している、と考えれば……といろいろ続けたいんですけどちょっとその前に本編もう一度最後まで通しで見たいですね。
・運命の輪を閉じることについて
アニメ本編でペンギンたちがゴミ箱から出てきたので、リサイクルされた結果として生まれるのはあのペンギンたちなのかもしれないとか、運命の乗り換えをしてあの世界から消えたけどどこかにいってなにかにならないといけない存在をリサイクルするのがこの映画の目的だとすれば、あの幼い双子ふたりとプリンチュがペンギン1号2号3号になって輪が閉じられる、ってことも考えられるのかなと思ったけどエスメラルダがどこからきたのか分からないのでボツ!
でもまあ輪が閉じられてないとすればあのペンギンの出自、ってのはあるかなと。コミカルリリーフなことも多いペンギンたちのシーンがやけに削られてなかったりするし。
・そもそもペンギンがモチーフなのって
元ネタが鳥の名前だから、ってことなのか……10年越しの気付き。
そしてパンフレット買ったんだけど後編のネタバレあるから読めないっていう。
畳む
・プリンチュについて
私、プリンチュが変貌する直前(桃果が桃にぱっくんちょされたパート)でプリンチュにピングフォースのステッカーが貼られていたことを完全にスルーしていたね…!?
後半の語り始めたプリンチュはもう普通に眞悧が憑依したと思って良さそうかな…とも思いました。そうなってくるとバキュバキュ言ってるとことか踊ってるとことか無性にイラついてくるんですが。
本来の存在のプリンチュがなんなのか、については、桃果のペンギンかマリオさんのペンギンかどっちかかなーと感じました。
陽毬に3号がいることを考えると素直にいけばマリオのペンギンが妥当っぽいんですけど、桃果とずっと一緒にいるところがなー。
ペンギンたちは子供たちの内面を表している、と考えれば……といろいろ続けたいんですけどちょっとその前に本編もう一度最後まで通しで見たいですね。
・運命の輪を閉じることについて
アニメ本編でペンギンたちがゴミ箱から出てきたので、リサイクルされた結果として生まれるのはあのペンギンたちなのかもしれないとか、運命の乗り換えをしてあの世界から消えたけどどこかにいってなにかにならないといけない存在をリサイクルするのがこの映画の目的だとすれば、あの幼い双子ふたりとプリンチュがペンギン1号2号3号になって輪が閉じられる、ってことも考えられるのかなと思ったけどエスメラルダがどこからきたのか分からないのでボツ!
でもまあ輪が閉じられてないとすればあのペンギンの出自、ってのはあるかなと。コミカルリリーフなことも多いペンギンたちのシーンがやけに削られてなかったりするし。
・そもそもペンギンがモチーフなのって
元ネタが鳥の名前だから、ってことなのか……10年越しの気付き。
そしてパンフレット買ったんだけど後編のネタバレあるから読めないっていう。
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数時間経ち前編より少し咀嚼が進み、うっかりパンフレットの存在を失念していたことにも気付きました。
また行くからいいもん…。
最初に鳥肌が立ったのはプリクリ様のバンクでした。
何度も見たこのバンクが劇場で!この音圧!という興奮。
次に鳥肌が立ったのはプリンチュペンギンのピンクのリボンが髪のように揺れたとき。
空の孔分室なのにいないあいつ、陽毬の回想にまつわるシーンなのにいないあいつ、随所随所で「いないこと」で存在を主張していたまさに呪いのような存在が、ずっとそこにいたことに気付かされたとき。
いや~~~~~このシーン、本当に、久しぶりの良い衝撃をもらいました。最高の体験をありがとう。
ROCK OVER JAPANの歌声にプリンチュペンギンの声が混ざってることはすぐわかったんですが、今思い返すと何を混ざっとんねんお前はと言いたくなりますね。
そもそも「プリンチュ」な点で怪しく思うべきだった。いや思ってたんですけどね。やっぱり呪いといえば王子様。そうだろイクニ。やったねウテナ様。高倉父の声優は子安!気が狂う。
いやでも、眞悧=プリンチュではないとは思ってます。ペンギンだし。1号2号3号エスメラルダに連なる存在…だよね。多分。
それって結局なんなのさと言われたらわからないんですけれども。
そんなプリンチュが冠葉に「特にお前」と言うのはやはり、冠葉が陽毬の王子様になってしまったからなのか。
正確には「ウテナのような王子様」かな。
何かを犠牲にして得た何かは呪いも同時に生むから、それで出来上がった世界は間違っている。あるいはその時生まれた呪いが世界を壊してしまう。だから間違っている。
ということなのかなあと、最後のプリンチュの台詞からぼんやり思いました。
それから「運命の輪を閉じなければならない」という言葉。
輪といえばピングドラムの輪。冠葉から晶馬が受け取り、晶馬が陽毬に与え、そして陽毬が冠葉に渡したそれは綺麗な輪となりました。
ですがそれとは違う「運命の輪」とは。
乗り換えた運命が環状線になってない…つまり山手線に行け、…ってコト!?
地下鉄から脱出しろという意味かなとも感じました。モチーフ的な話しか掴めないですね。
物語的にはまあ、運命の輪を閉じるように言ったのは桃果なので、乗り換えそびれちゃった眞悧をなんとかしようってことなのかなあ…とも思いますけど。
ラストのラストに満を辞して登場する辺り、最重要人物だとは思いますし。
ウテナでもアドゥレセンスでも暁生さんは救われなかったもんな…(すぐウテナの話にするな)
や、でもやっぱそうだってこれ…あきおのための映画だよこれ多分……
桃果が桃に食われた?時プリンチュが怯えてたように記憶してるんですけど、あれは何だったんだろう。もう一回見てから考えたいです。
そう、桃果、動きと声がついてようやく「大人になった桃果だ…!!」って感動できました。胸が熱かった。
プリクリ化した桃果があの桃果とはまた少し違う存在のようにも感じたので、帽子とは…というのもまた考えたくなりましたね。
生存本能とかかな。
10年経って改めてピンドラを見ていて、自分の感じ方が少し違っていて、その面でも楽しめました。
晶ちゃんの後ろで2号が虫を殺している時、彼がどんな気持ちでいるのか、実感を伴って伝わってきたり。
冠葉の「晶馬はお子様だな」「俺じゃダメなのかよ」という言葉が重く感じたり。
苹果が恋心を自覚した日に陽毬が倒れたことの意味を考えたり。
それこそ、物語の中で「愛してる」を言えるようになった晶馬のように、私も10年で成長したのかもな、と思えました。
畳む
また行くからいいもん…。
最初に鳥肌が立ったのはプリクリ様のバンクでした。
何度も見たこのバンクが劇場で!この音圧!という興奮。
次に鳥肌が立ったのはプリンチュペンギンのピンクのリボンが髪のように揺れたとき。
空の孔分室なのにいないあいつ、陽毬の回想にまつわるシーンなのにいないあいつ、随所随所で「いないこと」で存在を主張していたまさに呪いのような存在が、ずっとそこにいたことに気付かされたとき。
いや~~~~~このシーン、本当に、久しぶりの良い衝撃をもらいました。最高の体験をありがとう。
ROCK OVER JAPANの歌声にプリンチュペンギンの声が混ざってることはすぐわかったんですが、今思い返すと何を混ざっとんねんお前はと言いたくなりますね。
そもそも「プリンチュ」な点で怪しく思うべきだった。いや思ってたんですけどね。やっぱり呪いといえば王子様。そうだろイクニ。やったねウテナ様。高倉父の声優は子安!気が狂う。
いやでも、眞悧=プリンチュではないとは思ってます。ペンギンだし。1号2号3号エスメラルダに連なる存在…だよね。多分。
それって結局なんなのさと言われたらわからないんですけれども。
そんなプリンチュが冠葉に「特にお前」と言うのはやはり、冠葉が陽毬の王子様になってしまったからなのか。
正確には「ウテナのような王子様」かな。
何かを犠牲にして得た何かは呪いも同時に生むから、それで出来上がった世界は間違っている。あるいはその時生まれた呪いが世界を壊してしまう。だから間違っている。
ということなのかなあと、最後のプリンチュの台詞からぼんやり思いました。
それから「運命の輪を閉じなければならない」という言葉。
輪といえばピングドラムの輪。冠葉から晶馬が受け取り、晶馬が陽毬に与え、そして陽毬が冠葉に渡したそれは綺麗な輪となりました。
ですがそれとは違う「運命の輪」とは。
乗り換えた運命が環状線になってない…つまり山手線に行け、…ってコト!?
地下鉄から脱出しろという意味かなとも感じました。モチーフ的な話しか掴めないですね。
物語的にはまあ、運命の輪を閉じるように言ったのは桃果なので、乗り換えそびれちゃった眞悧をなんとかしようってことなのかなあ…とも思いますけど。
ラストのラストに満を辞して登場する辺り、最重要人物だとは思いますし。
ウテナでもアドゥレセンスでも暁生さんは救われなかったもんな…(すぐウテナの話にするな)
や、でもやっぱそうだってこれ…あきおのための映画だよこれ多分……
桃果が桃に食われた?時プリンチュが怯えてたように記憶してるんですけど、あれは何だったんだろう。もう一回見てから考えたいです。
そう、桃果、動きと声がついてようやく「大人になった桃果だ…!!」って感動できました。胸が熱かった。
プリクリ化した桃果があの桃果とはまた少し違う存在のようにも感じたので、帽子とは…というのもまた考えたくなりましたね。
生存本能とかかな。
10年経って改めてピンドラを見ていて、自分の感じ方が少し違っていて、その面でも楽しめました。
晶ちゃんの後ろで2号が虫を殺している時、彼がどんな気持ちでいるのか、実感を伴って伝わってきたり。
冠葉の「晶馬はお子様だな」「俺じゃダメなのかよ」という言葉が重く感じたり。
苹果が恋心を自覚した日に陽毬が倒れたことの意味を考えたり。
それこそ、物語の中で「愛してる」を言えるようになった晶馬のように、私も10年で成長したのかもな、と思えました。
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生存戦略してきました。
上映後即書いてます。ホヤホヤの感想だよやったね。ケロ。
フリック入力じゃ追いつかないと思ってキーボード持ってきて正解だった。
何言ってもネタバレになると思うのでさっさと閉じます!
ちなみにインタビュー類は全然追えていないので制作側の意図は全く知りません。
何から触れれば良いのやら…。
上映後、映画館を出て、許されるなら座り込んで頭を抱えたかった。
総集編としてアニメ版の各話をまとめつつ、新規パートが入り混じる、という構成自体は予想のうちでした。
ただ新規パートの内容というか、演出がまず予想外だった。
冒頭から実写映像にアニメの絵が入りまざり、その中に双子がいたから、あああの世界から消えたから違う世界にいる演出としてなのかな…と思った。
あと映画館にアニメ見にきて実写映像見せられるとどうしてもエヴァがよぎりましたね。
でも後半部分で実写の世界に入り混じるのは双子だけでなく、どんどん増えていって、ピクトグラムのモブもやってきていて、なんだかわからないけど不安で切ない気持ちが掻き立てられました。
この部分については後編まで観ないとわからなさそうかな…。
とりあえず音楽!
既存シーンの劇伴が大きく変わっていることでシーンの見え方、感じ方が全然違っているのがまずひとつ印象的でした。
例えばトリプルHが鯉の生き血を採ろうとするところ。
元は音楽もあってギャグとして見れていたのが、前倒しに切ない劇伴(曲名わからないにわかで申し訳ない…)が流れることでこの後のことが早々察せられて、失われた楽しい思い出のように見てしまうんですが、でも映画を観に来る観客のほとんどはその後のことは知っているので、その心情としてはその劇伴の変え方は理に適ってるなあと唸ったり。
カエル多蕗のシーンもシリアス感増してましたね。一本の映画として観ると終盤で気持ちが盛り上がっているところですしね。
なおかつ、苹果ちゃんの本心が吐露される大事なシーンであることが、アニメ版との違いを考えることでより浮き彫りになるような感覚がありました。
アニメ版との違いという点で先に触れておきたいの、お団子頭の陽毬がテレビのダブルHを見るシーン。
そもそも9話が好きな回すぎて9話のシーンが出るたびに身構えてしまったんですが、ここが一番エグかった。
アニメ版では眞悧の問いかけに極めて理性的にひまりが答えるのに対して、あまりにも素直な双子の「どうして?陽毬がかわいそうだよ」という言葉が……あまりにも残酷で。
陽毬の内面って本編終盤まで全然描かれないけど、この9話は心のうちのかなり深いところを視聴者に見せていて(エレベーターだしね)、だからこの後の話をもっと見たい!って思えたりもした。今回の劇場版だとそれがないんだな、って分からせられた。
苹果ちゃんの言う「双子たちだって独りよがりなんじゃないのか」の受け取られ方も変わりそうというか。
ちなみに9話、ほんとにピンドラの中で一番繰り返し見た回なもんで、のっけから陽毬を双子に置き換えたような画面が続き、脳みそバグるかと思いました。
返却日3月20日、本日4月29日でああああ!ってなったり。公開日に来て良かった……。
バグりすぎて最終的に2011年当時の自分が埋めたはずの墓から起き上がってショタ晶ちゃんマジ美少女すぎるペロペロって唱えてて困りました。
ところどころの字幕芸は逆にギャグを追加してて良い塩梅だった。
M=マタニティのところ笑った。勢いよ。
音楽の話に戻ります。
観る前、かなりすごく「Dear Futureが聴きたい!」って思ってたんですが半ば諦めてました。新主題歌があるなら旧主題歌は流さないかなとか、流したとしてもOPのノルニルだけかなとか、でもそれだけでも聴きたいから楽しみだな…とか思ってたら両方聴けて最高でした。
劇場内に響き渡るナッキーの声が聴ける令和が来るなんて思ってなかったな。
驚いたのが映像。公式MADみたいになってましたけど終盤のシーンも混ざっててもう見せちゃうの!?ってなった。やっぱりこの映画はアニメ版を見た人に向けて作られてるんだなと確信したポイントかも。
初回見て唯一泣いたのはなんとトリプルHの新曲が流れたシーンでした。
ダディーズ・シューズくるかと思ったのに!
だってそれだったら綺麗な親子のシーンで済ませられるじゃないですか。なのによりによってファクトリー、あまりにもど直球な歌。
美しく残酷な父子の思い出模様、それとシンプルにファクトリーが新曲なことへの感動とかが混ざって泣いてしまいましたね。
まだまだ続きそうなので一旦切ります。後半は新規シーンにまつわるアレコレについて。
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上映後即書いてます。ホヤホヤの感想だよやったね。ケロ。
フリック入力じゃ追いつかないと思ってキーボード持ってきて正解だった。
何言ってもネタバレになると思うのでさっさと閉じます!
ちなみにインタビュー類は全然追えていないので制作側の意図は全く知りません。
何から触れれば良いのやら…。
上映後、映画館を出て、許されるなら座り込んで頭を抱えたかった。
総集編としてアニメ版の各話をまとめつつ、新規パートが入り混じる、という構成自体は予想のうちでした。
ただ新規パートの内容というか、演出がまず予想外だった。
冒頭から実写映像にアニメの絵が入りまざり、その中に双子がいたから、あああの世界から消えたから違う世界にいる演出としてなのかな…と思った。
あと映画館にアニメ見にきて実写映像見せられるとどうしてもエヴァがよぎりましたね。
でも後半部分で実写の世界に入り混じるのは双子だけでなく、どんどん増えていって、ピクトグラムのモブもやってきていて、なんだかわからないけど不安で切ない気持ちが掻き立てられました。
この部分については後編まで観ないとわからなさそうかな…。
とりあえず音楽!
既存シーンの劇伴が大きく変わっていることでシーンの見え方、感じ方が全然違っているのがまずひとつ印象的でした。
例えばトリプルHが鯉の生き血を採ろうとするところ。
元は音楽もあってギャグとして見れていたのが、前倒しに切ない劇伴(曲名わからないにわかで申し訳ない…)が流れることでこの後のことが早々察せられて、失われた楽しい思い出のように見てしまうんですが、でも映画を観に来る観客のほとんどはその後のことは知っているので、その心情としてはその劇伴の変え方は理に適ってるなあと唸ったり。
カエル多蕗のシーンもシリアス感増してましたね。一本の映画として観ると終盤で気持ちが盛り上がっているところですしね。
なおかつ、苹果ちゃんの本心が吐露される大事なシーンであることが、アニメ版との違いを考えることでより浮き彫りになるような感覚がありました。
アニメ版との違いという点で先に触れておきたいの、お団子頭の陽毬がテレビのダブルHを見るシーン。
そもそも9話が好きな回すぎて9話のシーンが出るたびに身構えてしまったんですが、ここが一番エグかった。
アニメ版では眞悧の問いかけに極めて理性的にひまりが答えるのに対して、あまりにも素直な双子の「どうして?陽毬がかわいそうだよ」という言葉が……あまりにも残酷で。
陽毬の内面って本編終盤まで全然描かれないけど、この9話は心のうちのかなり深いところを視聴者に見せていて(エレベーターだしね)、だからこの後の話をもっと見たい!って思えたりもした。今回の劇場版だとそれがないんだな、って分からせられた。
苹果ちゃんの言う「双子たちだって独りよがりなんじゃないのか」の受け取られ方も変わりそうというか。
ちなみに9話、ほんとにピンドラの中で一番繰り返し見た回なもんで、のっけから陽毬を双子に置き換えたような画面が続き、脳みそバグるかと思いました。
返却日3月20日、本日4月29日でああああ!ってなったり。公開日に来て良かった……。
バグりすぎて最終的に2011年当時の自分が埋めたはずの墓から起き上がって
ところどころの字幕芸は逆にギャグを追加してて良い塩梅だった。
M=マタニティのところ笑った。勢いよ。
音楽の話に戻ります。
観る前、かなりすごく「Dear Futureが聴きたい!」って思ってたんですが半ば諦めてました。新主題歌があるなら旧主題歌は流さないかなとか、流したとしてもOPのノルニルだけかなとか、でもそれだけでも聴きたいから楽しみだな…とか思ってたら両方聴けて最高でした。
劇場内に響き渡るナッキーの声が聴ける令和が来るなんて思ってなかったな。
驚いたのが映像。公式MADみたいになってましたけど終盤のシーンも混ざっててもう見せちゃうの!?ってなった。やっぱりこの映画はアニメ版を見た人に向けて作られてるんだなと確信したポイントかも。
初回見て唯一泣いたのはなんとトリプルHの新曲が流れたシーンでした。
ダディーズ・シューズくるかと思ったのに!
だってそれだったら綺麗な親子のシーンで済ませられるじゃないですか。なのによりによってファクトリー、あまりにもど直球な歌。
美しく残酷な父子の思い出模様、それとシンプルにファクトリーが新曲なことへの感動とかが混ざって泣いてしまいましたね。
まだまだ続きそうなので一旦切ります。後半は新規シーンにまつわるアレコレについて。
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