ESCAPE JOURNEY

見聞と雑記

22日当日には観てたんですが、浮かぶ感想が多すぎて、整理してたら10日かかりました。
せっかくなのでまだパンフレットは読まずに、自分の考えだけで語っております。


直後は泣きすぎて目が痛かったです。
観終わった後の帰路の風景がなんだかとても愛おしくて…こんな…見慣れた風景が…イクニーーーッ!!!
レイトショーだったもんで夜景で、余計にね。
実写を使ったのはそういうことなんだなと思いました。最後にこちらに向けて投げられる「きっと何者かになれるお前たちに告げる」「愛してる」の言葉を、現実世界の我々が受け止めるための工夫なんだと。
キンプリは「観ると世界が輝いて見える」なんて言いますが、劇場版ピンドラは「観ると世界が愛おしく見える」作品だったと思いました。
キンプリと絡めてもう少し言うと、前後編のボリュームのギャップにプリプラのそれを思い起こしました。こんなに後編で重いパンチ喰らうとは。体感8時間あったわ。


細部について。

○構成
最後の最後、ぬいぐるみを投げたところでようやく時系列の罠に気づき、そういうことか!!と膝を叩きました。これは見事にやられた!
最終話のどこかへ歩いていく2人の姿が印象的すぎて、歩いて辿り着いたのが現実の夜の水族館で、そこから分室を訪れたものかと思っていたら。
はじめからこの物語は最終話の狭間のお話で、ラストの形は何も変わらないんだという。
あの美しい終わりが大きく変わらないことが嬉しかったな。驚きと共に歓喜したポイントでした。
リサイクルという言葉にちょっと釣られすぎてもいたかも。でも好きな作品のことをアレコレ考えては裏切られてワーイ!ってなるのはいつでも楽しい。ヘヘッ…これだから深読みオタクはやめられねえ。
で、また、「この子のお腹は3人で暮らしてる証なんだ」のシーンをきちんと差し込んでいるのがね。丁寧な導線。
ただひとつだけ、この時系列のことについて考えてることがあるのですが、それは蛇足な妄想なので一旦置いておきます。


○テレビ版との比較
前編に比べて後編の方がカットされたシーンがあるな、と気づきやすかったです。ゆりさんと苹果ちゃんのベッド(布団)シーン…どこ…?
しょーちゃんのちょっとシュールな絵本のやつとかもね。あ、でも「キスは消費されちゃう」のセリフは好きだったから惜しかったかも。
その代わりか、重要な話はまるまる入れられてたのかな。大好きで何度も見直したゆりと桃果の話、真砂子様のあのシーン、そして最終話。
大好きな場面がそのままスクリーンで味わえて嬉し涙が流れました。真砂子様、本当に…思い出しても涙が出る。大好きだ。
「世界を救う者」はEDが灰色の水曜日な回だったから、って理由もあって当時何度も見返した記憶があるんですが、今作では初めて二人が並び座って話をするシーンで早くも灰色の水曜日アレンジ劇伴が流れ始めてワシャもうどうしてええんかわからん…ってなってた。※良い意味のノブ
そう、音楽、トリプルHの歌からシームレスに通常の劇伴に繋がっててすごい!ミックスの妙か?と各所で思ってましたが、クレジットで見る限りそこまで含んでひとつの曲のようでしたね。これはサントラ聴きたくなるなあ。テレビ版はサントラまでは手が回ってないけど劇場版は買おう。トリプルHの新曲もあるし。
乗り換えの瞬間は、テレビ版も劇場版もどっちも好きだな!って素直に思いました。好きなシーンの好きな形が増えて嬉しい。


○新規シーンについて
なにはさておき、まずはOP!嬉しかった~~~!!!
これは単純にテレビアニメのオタクとして、劇場版だとEDはあってもOPがないのをたまに残念がっているので、痒いところに手が届いてて嬉しかった。
興奮しててあんまりしっかり覚えてないんですが、2期OPで走る方向を違えてしまった3人が、姿は変われど今度こそ同じ向きに走っていた、そのカットだけは目に焼き付いています。

崩壊する分室からエレベーターの孔を登って脱出していくシーン、迫力があって、ああアドゥレセンスの最後、世界を革命する力を!と叫ぶあそこと同じものを感じるな、と思いました。力強さ。
そらの孔分室は、透明になった存在が行く場所なんでしょうか。となると9話の陽毬はただ死ぬんじゃなくて透明になろうとしてしまっていたのかな(この辺りは明確に言語化するものではなく、肌で感じる部分と解釈していますが)。
そこから脱した兄弟ふたりが再び元の世界に戻り、最終話のラストシーンに繋がっていたと分かります。
"少年が帰った"さらにそのあとで、水族館で目を覚まし光の中また歩いていく。一番大きな物語の変化はここだったわけですが、この追加された本当のラストシーン、とっても嬉しかったです。
テレビ版だけだと解釈が割れていたポイントが明確になったと思いました。
そう、リサイクル、再構築である以上材料は同じで、パラレルワールドでも別の世界線でもないんですよね。そこが嬉しいんだなあ。
その上で、2人はあの世界で透明にならなかったんだよ、陽毬と3人で暮らした証も残ってるからね、と優しく観客に教えてくれたように感じました。

それから、「見つけてもらえる子供になったんだと思って泣いた」と陽毬が語る砂浜のシーン、思わず映画館で爆泣きしましたが、それが新規シーンに繋がってまた大泣きしてしまいました。
子供たちがみんな集ってきてそして…エヴァ。あそこは素直にエヴァだなあと思って良いシーンだと捉えてます。カヲルくんはイクニさんだし。すべてのチルドレンだし。


○そしてなにより
晶馬が苹果に「愛してる」と言って蠍の炎を引き受けた時、手を掴めなかった苹果が、テレビ版では何も言えなかった苹果が……「あたしも」と返してましたね。
これ、これ…10年越しの返答、エモ方面での一番の衝撃でした。もうずっと胸を貫かれています。
再構成、である以上この言葉は、10年経って私達がようやく聞き取れた言葉、なんだと思います。
苹果ちゃんが言えていて、伝えられていて良かった。ただただそう思う。





さて、先程「明確に言語化せず肌で感じる部分」と書きましたが、このアニメにはそういう点が非常に多く、下手に論理で解体しようとするとかえって褪せてしまう部分でもあると私は考えています。
ここからは、そういう部分にそういうものだと思った上で敢えて触れていきます。ふんわりとした書き方になりますがご理解ください。


○眞悧について
のっけから彼にスポットが当たって驚きました。
「この世界は箱なんだ」のセリフ、多分、生前の彼はずっと冠葉と晶馬があのとき入っていた箱の中にいて、そのまま生涯を終えてしまったんだろうな。だから飢餓の会。
で、そんな彼が救われるのではないかと前編を見て思っていた私ですが、ダメだったか~。ワハハ。
「呪いのメタファー」であり「亡霊」である以上、もうそういう対象ではないってことかなあと後編では思いました。桃果と同じで。
救われるべきはあのテロを起こして死ぬ前の彼だったのであって、乗り換えバグを経て人間でなくなってしまったそれではないのかなという。
思えばゆりの父親のことからして、ゆりを救うために父親を消しているわけで、父親も一緒に幸せになるとかそういう運命の乗り換え方はできないんですよね、桃果は。
そういう意味では桃果が呪いを生んでしまったことは当然のようにも思うし、あるいは連綿と続く呪いをどこまで遡ればいいのか?という疑念をどこかで彼女が抱いたかもしれないと思えば、始めから呪いという概念は彼女の宿敵であった、とも言える。
だから劇場版でも桃果と眞悧が、あたかもトムとジェリーかのごとく、これからも仲良く喧嘩しますよ、みたいに(少しコミカルに)描かれたのは、却って救いでした。
桃果は全知全能の存在にならずにすむし、眞悧はうん、寂しくないよね。
テレビ版の最終話だと二人はお別れしてしまってたから。


○時系列について
前段から続いた内容になりますが、時系列で考えると「でも私はもう行くわ」のシーンは劇場版の後の可能性もあるんですよ。サンちゃんが箱に詰められた後だから。
あれ?じゃあやっぱり二人はトムジェリじゃないじゃん、ってなりますよね。
そこでひとつ気にかかるのが、桃果の見た目年齢の話でして。
十年前に放映されたテレビ版では桃果の姿は一貫して小学2年生の姿でした。年齢でいえば7~8歳。それが今回の劇場版では突然成長した姿になるんですよね。
最終話のラストシーンで帽子をふたつ持って去ること、劇場版ではマリオ(に貸してた?)帽子を被っていることから、帽子に力を分けていて幼くなっていた姿が完全体に戻った、みたいな考えもあるかもしれないんですが、それにしては桃果の顔つきが幼いなあと思うんですね。同い年のゆりや多蕗よりも幼くてまだまだ少女っぽい。
じゃあ何歳くらいかというと、17~18くらいに見えません?
それで、もしかしたら桃果と眞悧だけはこっちの世界の時間軸にいるのかなあ、って思っちゃったんですよね。
桃果だけは2011年に乗り換えを見届けて眞悧にさよならして、そのままのんびり司書をして過ごしていたけど、10年経った今、メタ的には何かを伝えるため、物語的には乗り換えの脆弱性を見つけて修正作業をするために、再構築に至ったのでは。
なんてね。
キャラデザの都合って言われたらそれで終わる話なんですけど。


○林檎について
これは単純な、テレビ版と劇場版と10年の月日が合わさってようやく自分が気づいたことの覚書になるんですが。
冠葉の箱の中にあった唯一の林檎は、お母さんからのものだったのかなあ。彼の父は高倉父母と同じだと思う。
あと兄弟3人の中で晶馬だけが唯一与えることも与えられることもできていることとか、桃果も乗り換えのたびに運命の果実を渡していたんだよなとか、冠葉や晶馬が林檎を渡したあの時も運命を乗り換えたことに変わりはないんだよなとか、いろいろ。気づいていたことに何度でも気づけることが楽しい。

陽毬が亡くなる朝のシーンが永訣の朝であることに、また気づいたり。多分知っていたけど、ああ、とまた気づく瞬間をもらえて、やっぱり10年後にこれが見られて良かったなあ、と繰り返し思うのでした。


とりあえずはこんなところでしょうか。
またパンフレット読んだり2回目見たりして、書きたいことがあれば書きます。


大事なこと忘れてた。中学時代のしょーちゃんの髪がちょっと長いの、ヤバくないですか?
美ショタは正義です。やめて。すり潰さないで。
畳む

2022/08/01(月) - アニメ